「『元・新ジダン』なんて書かれることもあってね。腹が立つよ」
00年夏に入団したボローニャではトップチームに早々と定着。04-05シーズンのセリエA4節、ホームでのローマ戦では2得点を挙げる活躍も披露した。
だが、そこから停滞期に突入する。ボローニャのセリエB降格にともないレンタルで渡ったソショーでは怪我に泣き、07年夏には名門ラツィオへの移籍が実現したものの、ここでも才能を開花できなかった。
A代表は09年にアルジェリアを選択した。10年ワールドカップの本大会出場に小さくない貢献を果たしながら、しかし、本大会前に大怪我を負って欠場を余儀なくされる。以降は怪我の連続で、ラツィオ退団後に渡ったカタールのクラブでも故障に見舞われ、ピッチにすらほとんど立てなかった。
フランスに戻って両膝を手術したものの思うように回復せず、葛藤の末、29歳のときにアメリカに渡って専門医の診察を受ける。だが、診断結果は不明瞭なものだった。
だが、そこから停滞期に突入する。ボローニャのセリエB降格にともないレンタルで渡ったソショーでは怪我に泣き、07年夏には名門ラツィオへの移籍が実現したものの、ここでも才能を開花できなかった。
A代表は09年にアルジェリアを選択した。10年ワールドカップの本大会出場に小さくない貢献を果たしながら、しかし、本大会前に大怪我を負って欠場を余儀なくされる。以降は怪我の連続で、ラツィオ退団後に渡ったカタールのクラブでも故障に見舞われ、ピッチにすらほとんど立てなかった。
フランスに戻って両膝を手術したものの思うように回復せず、葛藤の末、29歳のときにアメリカに渡って専門医の診察を受ける。だが、診断結果は不明瞭なものだった。
未来への不安ばかりが募るなか、15年1月、気分転換もかねて兄が主宰するフットサルチームに加入した。だが、やはりフットボールが恋しくなり、同年7月、31歳でアルジェリアのコンスタンティーヌと契約をかわす。
「子供も成長してきたし、引退する前に僕のプレー姿を見せたかったんだ」
17年までこのクラブでプレーを続け、プロキャリアに終止符を打った。33歳だった。
現在のメグニは、8部リーグに相当するパリ郊外のアマチュアクラブ「ヴァル・ド・フランス」に所属。エレガントなテクニックを披露し、周囲の人々を魅了している。なぜこのクラブに所属しているのか。それは息子がU-11チームでプレーしているからだ。
「いまだにメディアで『元・新ジダン』なんて書かれることもあってね。腹が立つよ。そんな比較は一度も望んだことがないのに」
5年前にそう語っていたメグニは、いずれ古い絆創膏のように貼りついたそのレッテルを剥ぎ取り、育成の分野で何かを成し遂げているかもしれない。
「ヴァル・ド・フランス」でメグニはいま、アシスタントの一人として少年育成(6~13歳のカテゴリー)にも関わり始めているのだ。
文●結城麻里
※『ワールドサッカーダイジェスト』2020年6月18日号より転載
「子供も成長してきたし、引退する前に僕のプレー姿を見せたかったんだ」
17年までこのクラブでプレーを続け、プロキャリアに終止符を打った。33歳だった。
現在のメグニは、8部リーグに相当するパリ郊外のアマチュアクラブ「ヴァル・ド・フランス」に所属。エレガントなテクニックを披露し、周囲の人々を魅了している。なぜこのクラブに所属しているのか。それは息子がU-11チームでプレーしているからだ。
「いまだにメディアで『元・新ジダン』なんて書かれることもあってね。腹が立つよ。そんな比較は一度も望んだことがないのに」
5年前にそう語っていたメグニは、いずれ古い絆創膏のように貼りついたそのレッテルを剥ぎ取り、育成の分野で何かを成し遂げているかもしれない。
「ヴァル・ド・フランス」でメグニはいま、アシスタントの一人として少年育成(6~13歳のカテゴリー)にも関わり始めているのだ。
文●結城麻里
※『ワールドサッカーダイジェスト』2020年6月18日号より転載