テイラー監督は賭けに出て、それに負けたのだ
リネカー氏は大会後、代表から退くことを発表したため、当時、ボビー・チャールトン氏が持っていたイングランド代表最多の49得点に1点及ばず、記録達成の機会が訪れることはなかった。
一方、負傷で招集できなかった選手が多かったという事情などは考慮されず、テイラー監督は批判の集中砲火を浴びる羽目になった。だが、彼は『インデペンデント』紙(電子版)などで「ガリーを下げたのは、純粋にフットボールの観点からの決断」と私情を完全否定。「スウェーデンが攻勢を強めてきたため、前線でボールを保持する必要があった」と、交代の理由を説明した。稀代のカリスマを外すリスクを、テイラー監督が分からなかったはずはない。結局のところ、彼は賭けに出て、それに負けたのだった。
テイラー元監督は2017年1月に72歳でこの世を去った。リネカーはソーシャルメディアで「グラハム・テイラーが亡くなったのは悲しい報せ。傑出した監督で、フットボールを愛し、まったく立派な人物だった」と故人を称えた。
文●石川 聡
一方、負傷で招集できなかった選手が多かったという事情などは考慮されず、テイラー監督は批判の集中砲火を浴びる羽目になった。だが、彼は『インデペンデント』紙(電子版)などで「ガリーを下げたのは、純粋にフットボールの観点からの決断」と私情を完全否定。「スウェーデンが攻勢を強めてきたため、前線でボールを保持する必要があった」と、交代の理由を説明した。稀代のカリスマを外すリスクを、テイラー監督が分からなかったはずはない。結局のところ、彼は賭けに出て、それに負けたのだった。
テイラー元監督は2017年1月に72歳でこの世を去った。リネカーはソーシャルメディアで「グラハム・テイラーが亡くなったのは悲しい報せ。傑出した監督で、フットボールを愛し、まったく立派な人物だった」と故人を称えた。
文●石川 聡