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酒好きで破天荒な久保竜彦が、日本代表への扉を開いた“変化のきっかけ”【広島|番記者回顧録】

カテゴリ:Jリーグ

中野和也

2020年05月29日

「日本の宝になる」大器を大成させたい。動いたのは――

FWへのコンバートで才能を開花した久保竜彦。さらに、結婚を機に私生活が安定し、日本代表に選ばれるまでに成長した。(C)SOCCER DIGEST

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 ただ面白いもので、無軌道極まりない生活を送っていたこの時期、彼はトップチームで活躍をし始めた。MFからFWに転向したことで、まるでアフリカの原野で育ったかのような身体能力が発揮されるようになり、2年目(96年)のナビスコカップで9試合4得点と足がかりを掴む。

 ヤンセン監督(当時)から期待された彼はリーグ戦でも常時ベンチ入りを果たし、C大阪戦ではプロ初得点を含む2ゴールでチームを勝利に導いた。誰が見ても分かる凄い素質。柏・ニカノール監督(当時)が「日本の宝になる」と称した大器をなんとしてでも大成させたい。

 動いたのは、今西和男総監督(当時)。Jリーグにおけるゼネラルマネジャーの先駆者とも言える指導者は、久保を成長させるには私生活の安定しかないと考え、彼にあることを勧めた。

 結婚である。
 実は久保には、高校時代から交際していた同級生の恋人の佳奈子さんがいた。彼自身、彼女との結婚も考えていたこともあり、総監督は「これだ」と考えた。当時、久保の両親も彼女の母親も「まだ早過ぎる」と結婚には反対していた。無理もない。

 ふたりともまだ20歳。久保はプロ3年目で、レギュラーポジションをようやく掴んだばかりの時だ。「もう少し、待った方がいい」。そう考えても無理はない。
 
 今西総監督は久保の両親に会い、「彼の素質は素晴らしい。結婚によって私生活が安定すれば、日本を代表する選手になれる」と説得した。この言葉が両親を動かし、流れは結婚へと傾いた。

 一方、佳奈子さんの母親に対しては、若いふたりが熱意を込めて説得。試合が終わってそこから佳奈子さんが住む福岡に戻り、「結婚させてください。お願いします」と毎週のように久保は願いを母に伝えた。その回数は10回を超え、ついに承諾を勝ち取った。
 
 98年7月20日、親戚とごく少数の友だちが集まっただけの小さな結婚式をあげ、ふたりは結婚した。その時を境に、まるで破滅に向かっているかのような酒に浸る日々は、なくなった。

 酒そのものを止めたわけではないが、ある程度は節度を保てるようになり、体調管理に気を使ってクーラーを控えるようにもなった。試合中にイライラして投げやりになることもなくなり、サッカーのビデオを食い入るように見て研究する姿を新妻は何度も目撃した。

 彼が初めて日本代表に選出されたのは、その年の10月。久保竜彦という若者の扉が未来に向けて大きく開き、その後の伝説を築いたのは、間違いなく「結婚」がきっかけだったのだ。

取材・文●中野和也(紫熊倶楽部)

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