「神奈川を勝ち抜くのは、ある意味、全国より難しい」
――横浜のジュニアユースに入った経緯は?
「(スクールの選抜チームである)プライマリーの選抜テストには落ちたんです。なので、その下の『スペシャルクラス』というカテゴリーでプレーしていたんですが、そこからも何人かジュニアユースに上がることができたんです」
――中学時代はどんな生活を送っていた?
「オフは週1回のみで、それ以外は放課後に練習がありました。練習場がみなとみらいにあったので、毎日1時間ぐらいかけて通ってました」
――中学時代のポジションは?
「主にサイドハーフでした」
――中学時代の最高成績は?
「中学2年の時に(日本クラブユースサッカー選手権U-15で)全国優勝しました」
――中3の時にU-15代表に選出せれています。それほどの実力があれば、横浜のユースに、上がろうと思えば上がれたのでは?
「そうですね」
――それでも、桐光学園高を選んだのはなぜ?
「兄がプレーしていたというのもありますし、選手権への憧れもありました」
――他の高校は考えなかった?
「いろいろ考えました。ただ、身近にいる兄が逞しく成長していく姿を見て、自分も桐光でプレーしたいと思い、決めました」
――ちょうどお兄さんとは入れ替わりになったわけですね。
「そうですね。3つ違うんで。兄は卒業して神奈川大学でプレーしています」
「(スクールの選抜チームである)プライマリーの選抜テストには落ちたんです。なので、その下の『スペシャルクラス』というカテゴリーでプレーしていたんですが、そこからも何人かジュニアユースに上がることができたんです」
――中学時代はどんな生活を送っていた?
「オフは週1回のみで、それ以外は放課後に練習がありました。練習場がみなとみらいにあったので、毎日1時間ぐらいかけて通ってました」
――中学時代のポジションは?
「主にサイドハーフでした」
――中学時代の最高成績は?
「中学2年の時に(日本クラブユースサッカー選手権U-15で)全国優勝しました」
――中3の時にU-15代表に選出せれています。それほどの実力があれば、横浜のユースに、上がろうと思えば上がれたのでは?
「そうですね」
――それでも、桐光学園高を選んだのはなぜ?
「兄がプレーしていたというのもありますし、選手権への憧れもありました」
――他の高校は考えなかった?
「いろいろ考えました。ただ、身近にいる兄が逞しく成長していく姿を見て、自分も桐光でプレーしたいと思い、決めました」
――ちょうどお兄さんとは入れ替わりになったわけですね。
「そうですね。3つ違うんで。兄は卒業して神奈川大学でプレーしています」
――正式に入学する前(3月の船橋招待)に10番を付けたそうですね。桐光学園の10番といえば中村俊輔選手(現・横浜FC)も背負った番号です。
「いきなり10番をつけるなんてまったく知らなかったんです。試合前に鈴木(勝大)監督から『10番だから』と言われて……。最初は先輩たちの目が気になりましたが、だんだんと気にせずにプレーできるようになりましたね」
――1年の時からずっとレギュラーだった?
「1年次の前期は試合に出ていたんですが、後期はほとんど出場できませんでした。インターハイ、選手権とも県大会で負けて、全国大会に出られませんでした」
――神奈川県予選を勝ち抜くのは難しい?
「ある意味、全国でやるより難しい面もありました。レベルも高いですし、桐光に対しては捨て身で来るチームも多いので。そのあたりの対応がチームとして難しかったですね」
「いきなり10番をつけるなんてまったく知らなかったんです。試合前に鈴木(勝大)監督から『10番だから』と言われて……。最初は先輩たちの目が気になりましたが、だんだんと気にせずにプレーできるようになりましたね」
――1年の時からずっとレギュラーだった?
「1年次の前期は試合に出ていたんですが、後期はほとんど出場できませんでした。インターハイ、選手権とも県大会で負けて、全国大会に出られませんでした」
――神奈川県予選を勝ち抜くのは難しい?
「ある意味、全国でやるより難しい面もありました。レベルも高いですし、桐光に対しては捨て身で来るチームも多いので。そのあたりの対応がチームとして難しかったですね」