新監督は若手育成に定評のある布啓一郎氏。新陳代謝へのメッセージが発されている
さらにレアンドロ・ペレイラはその後、レンタル移籍先のサンフレッチェ広島で9試合・4ゴールと存在感を発揮。結果的に見れば、「生かせなかった」と判断されても仕方がないだろう。ただ、プレスのスタート位置を低くするなど大幅にスタイルを変える譲歩を示してはいて、結果さえ伴えば軋みを覆い隠してくれたかもしれない。
だが中盤戦にかけて10試合勝ちなしと苦しみ、ある選手は「口先だけのワンソウル(今季のクラブスローガン)だった」とこぼしていた。そしてその間、反町監督はクラブへ辞任の意向を伝達。当時を振り返り、「体重が本当に減ってきて、食べ物も喉を通らなくなって、『このままでは自分がやられてしまうんではないか』という極限の状態にまでなっていた」と明かす。
だがクラブから慰留を受け、自身のメンタルとチームを立て直した。常人のなせる業ではない。27節・FC東京戦を境に陣形を3-4-2-1から3-5-2に変更。杉本太郎、町田也真人、セルジーニョと小柄ながらもテクニカルな面々を同時起用した。これがハマり、上位クラブからも勝点1ずつを粘り強く積み上げながら残留戦線で奮闘。この時期はJ1では最長となる4試合負けなしとするなど、下位チームとは思えない戦いぶりだった。
それでも最終的には、33節・G大阪戦で敗れてJ2降格となった。極限の状態にまで追い込まれていたのは監督だけでなく、選手も同様。特にチャンスが舞い込んできそうに見えて起用されなかった選手は、指揮官に直談判するなどアクションを起こしていた。ある者はサポーターのために、ある者はチームのために、またある者は自身の存在価値のために――。各自が最善と判断した行動をしたものの、「残留」という目に見える結果は出せなかった。
反町監督は全てを出しきり、退任することで双方が合意。個人的にも8年間取材してきただけに、その仕事ぶりには心底敬服している。だがこのまま9年目に突入したとしても、おそらく今回のような幸せな別れはできなかったのではなかろうか。そしてクラブは飯田真輝、高崎寛之、岩上祐三などベテラン選手との契約満了を矢継ぎ早に発表。もちろん彼ら実直なベテランの力が不可欠だったことも事実だが、指揮官が若手育成に定評のある布啓一郎氏に替わることも含め、新陳代謝へのメッセージが発されている。
だが中盤戦にかけて10試合勝ちなしと苦しみ、ある選手は「口先だけのワンソウル(今季のクラブスローガン)だった」とこぼしていた。そしてその間、反町監督はクラブへ辞任の意向を伝達。当時を振り返り、「体重が本当に減ってきて、食べ物も喉を通らなくなって、『このままでは自分がやられてしまうんではないか』という極限の状態にまでなっていた」と明かす。
だがクラブから慰留を受け、自身のメンタルとチームを立て直した。常人のなせる業ではない。27節・FC東京戦を境に陣形を3-4-2-1から3-5-2に変更。杉本太郎、町田也真人、セルジーニョと小柄ながらもテクニカルな面々を同時起用した。これがハマり、上位クラブからも勝点1ずつを粘り強く積み上げながら残留戦線で奮闘。この時期はJ1では最長となる4試合負けなしとするなど、下位チームとは思えない戦いぶりだった。
それでも最終的には、33節・G大阪戦で敗れてJ2降格となった。極限の状態にまで追い込まれていたのは監督だけでなく、選手も同様。特にチャンスが舞い込んできそうに見えて起用されなかった選手は、指揮官に直談判するなどアクションを起こしていた。ある者はサポーターのために、ある者はチームのために、またある者は自身の存在価値のために――。各自が最善と判断した行動をしたものの、「残留」という目に見える結果は出せなかった。
反町監督は全てを出しきり、退任することで双方が合意。個人的にも8年間取材してきただけに、その仕事ぶりには心底敬服している。だがこのまま9年目に突入したとしても、おそらく今回のような幸せな別れはできなかったのではなかろうか。そしてクラブは飯田真輝、高崎寛之、岩上祐三などベテラン選手との契約満了を矢継ぎ早に発表。もちろん彼ら実直なベテランの力が不可欠だったことも事実だが、指揮官が若手育成に定評のある布啓一郎氏に替わることも含め、新陳代謝へのメッセージが発されている。
サポーターらに愛された「ソリさん」が水先案内人を務め、Jの荒波を往く段階は終わった。このオフを境に装い新たにはするものの、神田文之社長は「継続性」を強調。スクラップアンドビルドを敢行できるほどのビッグクラブでもないから、最善の判断ではないだろうか。J参入後初の指揮官が8年間続いたため、喪失感に襲われるのも当然の反応だが、人は替われど松本山雅は松本山雅。舞台を三たびJ2に移し、新たな成長のストーリーを紡ぐ。
取材・文●大枝 令(スポーツライター)