普段の姿で何かを伝える――当時の井原正巳の姿がいまの坪井慶介に重なる
このとき坪井22歳。井原34歳。干支がひと回り違う師弟関係はピッチ内だけでなく、ピッチ外にもあった。当時、井原は自宅を離れ、選手寮・吾亦紅に住み、長谷部誠、田中達也、山岸範宏といった黄金期の主軸となる選手と寝食を共にした。そんななか、井原は寮長のような役割を担っていたという。
「プロとしての日頃の取り組みを若い選手に感じてほしかった。ツボとはポジションが近かったので、より密に話しをした。また当時、寮には活きが良く能力の高い選手たちが入った。(その選手に向け)練習への準備、身体のケア、そしていま何が必要なのかを伝えるために浦和に2年間、在籍させてもらったと思っている」。井原の意思は若手の教科書として、坪井を含めた多くの選手に受け継がれた。
当時の風景が分かる証言がある。坪井と同期の浦和・平川忠亮コーチ。「井原さんからすれば、僕にはわんぱくなイメージしかないと思う。オフト(監督)から怒られてばかりだったし。イメージとしてツボ(坪井)は真面目。僕はふらふらした感じに見えたと思う(笑)」
「プロとしての日頃の取り組みを若い選手に感じてほしかった。ツボとはポジションが近かったので、より密に話しをした。また当時、寮には活きが良く能力の高い選手たちが入った。(その選手に向け)練習への準備、身体のケア、そしていま何が必要なのかを伝えるために浦和に2年間、在籍させてもらったと思っている」。井原の意思は若手の教科書として、坪井を含めた多くの選手に受け継がれた。
当時の風景が分かる証言がある。坪井と同期の浦和・平川忠亮コーチ。「井原さんからすれば、僕にはわんぱくなイメージしかないと思う。オフト(監督)から怒られてばかりだったし。イメージとしてツボ(坪井)は真面目。僕はふらふらした感じに見えたと思う(笑)」
多くを語らず、普段の姿で何かを伝える――当時の井原正巳の姿がいまの坪井慶介に重なる。
「引退試合で場内一周した時、ツボ(坪井)に運転手を務めてもらったが、スピード勝負の選手だからここまで長くやれる選手だとは思わなかった。それができたのは多くのものを犠牲にしながら、ストイックに続けてきた、その証し」
背中で語った男が、同じく背中で語った男へ送った18年越しの労いの言葉。
ツボさん、お疲れ様でした。(文中敬称略)
取材・文●佐藤亮太(レッズプレス!!)