キャリアに大きな影響を与えたであろうファンタジスタの直訴。

ピルロの直訴は、自身のキャリアにも大きな影響を与えた。インテルで不遇な日々を過ごしたファンタジスタは、ここから大きく飛躍し、今なおその威光を放ち続けている。 (C) Getty Images
有名なエピソードとして、パルマ監督時代の97-98シーズン前、ミランを退団したロベルト・バッジョの獲得をパルマのカリスト・タンツィ会長が進めていたものの、アンチェロッティは「守備のできないファンタジスタはいらない」と断固拒否。結局、イタリアの至宝はボローニャという優勝争いとは無縁の中規模クラブに新天地を求めた。
また、現在はミランで監督を務めるフィリッポ・インザーギが96-97シーズンにレンタル先のアタランタで得点王に輝き、意気揚々とパルマに戻ってきた際、アンチェロッティは「フィジカル面が弱過ぎてうちでは使えない」と、ユベントスへ放出する決断を下している。
パルマでも、ユベントスでも、そしてミランでも、とにかく守備を軸とし、堅実なプレーで勝点を稼ぐことを信条としてきた指揮官は、ファンタジーを好むファンからは嫌悪の視線を向けられ、「地味」「つまらない」と揶揄されることも多かった。しかし、確実に結果を残すことで1年後には感謝される、というのがアンチェロッティという監督だった。
話をミランに戻すと、本格的に一からチーム作りを始めた02-03シーズン、ミランにはインザーギ、アンドリー・シェフチェンコ、ヨン=ダール・トマソン、ルイ・コスタ、クラレンス・セードルフ、アンドレア・ピルロといった攻撃のタレントが所属しており、さらにオフの補強で日韓ワールドカップに優勝したばかりのブラジル代表の核、リバウドを獲得していた。
飽和状態の攻撃陣に比べ、守備陣が手薄という状態で、シーズン開幕前には不安要素の方が多いと見られていたミラン。アンチェロッティも最高の駒の組み合わせ(もちろん堅実でリスクが低いという意味での、だ)を探して頭を悩ませていた。
ここで、おそらく後のアンチェロッティのキャリアに大きな影響を与える出来事が起こる。それは当時、若きMFピルロの直訴である。ルイ・コスタに加え、リバウドまでが加入したことで、それまでの主戦場だったトップ下で起用されるのは難しいと読んだピルロは、アンチェロッティに「僕を中盤の底で使ってください」と自ら申し出たのだ。
当時、中盤の底をカバーするのは守備に長けた選手、というのが一般的な考えだった。まず守備ができて、なおかつ周囲を見渡せてコントロールできるのが理想的な“レジスタ”、“ボランチ”、“アンカー”だった。ピルロは運動量のある選手だったが、イタリア期待の若きファンタジスタといわれるように、攻撃でこそ力を発揮できる選手で、守備とは縁遠い選手と見られていた。
しかし、ここでアンチェロッティはピルロの申し出を受け入れる。まず、プレシーズンマッチでミランが好調だったこともあり、様々なシステムを試す余裕があったこと、そして自身が現役時代、中盤の底でプレーしながら、時に攻撃でも重要な仕事を果たしていたことで、ピルロに可能性を見出していたこともあっただろう。
その目に狂いはなく、ピルロが中盤の最後尾で攻守をコントロールするサッカーは機能した。とはいえ、アンチェロッティはこのシステムはプレシーズンだけのものとしか考えていなかった。やはり、この起用は全体のバランスを欠くものであり、実戦においては守備面の不安が拭えないと見ていたからだ。
また、現在はミランで監督を務めるフィリッポ・インザーギが96-97シーズンにレンタル先のアタランタで得点王に輝き、意気揚々とパルマに戻ってきた際、アンチェロッティは「フィジカル面が弱過ぎてうちでは使えない」と、ユベントスへ放出する決断を下している。
パルマでも、ユベントスでも、そしてミランでも、とにかく守備を軸とし、堅実なプレーで勝点を稼ぐことを信条としてきた指揮官は、ファンタジーを好むファンからは嫌悪の視線を向けられ、「地味」「つまらない」と揶揄されることも多かった。しかし、確実に結果を残すことで1年後には感謝される、というのがアンチェロッティという監督だった。
話をミランに戻すと、本格的に一からチーム作りを始めた02-03シーズン、ミランにはインザーギ、アンドリー・シェフチェンコ、ヨン=ダール・トマソン、ルイ・コスタ、クラレンス・セードルフ、アンドレア・ピルロといった攻撃のタレントが所属しており、さらにオフの補強で日韓ワールドカップに優勝したばかりのブラジル代表の核、リバウドを獲得していた。
飽和状態の攻撃陣に比べ、守備陣が手薄という状態で、シーズン開幕前には不安要素の方が多いと見られていたミラン。アンチェロッティも最高の駒の組み合わせ(もちろん堅実でリスクが低いという意味での、だ)を探して頭を悩ませていた。
ここで、おそらく後のアンチェロッティのキャリアに大きな影響を与える出来事が起こる。それは当時、若きMFピルロの直訴である。ルイ・コスタに加え、リバウドまでが加入したことで、それまでの主戦場だったトップ下で起用されるのは難しいと読んだピルロは、アンチェロッティに「僕を中盤の底で使ってください」と自ら申し出たのだ。
当時、中盤の底をカバーするのは守備に長けた選手、というのが一般的な考えだった。まず守備ができて、なおかつ周囲を見渡せてコントロールできるのが理想的な“レジスタ”、“ボランチ”、“アンカー”だった。ピルロは運動量のある選手だったが、イタリア期待の若きファンタジスタといわれるように、攻撃でこそ力を発揮できる選手で、守備とは縁遠い選手と見られていた。
しかし、ここでアンチェロッティはピルロの申し出を受け入れる。まず、プレシーズンマッチでミランが好調だったこともあり、様々なシステムを試す余裕があったこと、そして自身が現役時代、中盤の底でプレーしながら、時に攻撃でも重要な仕事を果たしていたことで、ピルロに可能性を見出していたこともあっただろう。
その目に狂いはなく、ピルロが中盤の最後尾で攻守をコントロールするサッカーは機能した。とはいえ、アンチェロッティはこのシステムはプレシーズンだけのものとしか考えていなかった。やはり、この起用は全体のバランスを欠くものであり、実戦においては守備面の不安が拭えないと見ていたからだ。