わずか6か月でINFを退学…。救いの手を差し伸べたのは?
少年時代の伝説は、10歳で入団したブーローニュ・ビヤンクール(通称ACBB)での初試合。ひとりで8ゴールを挙げてチームを勝利に導いた。
その後、1998年ワールドカップの優勝メンバーであるベルナール・ディオメドが設立した私立アカデミーで1年を過ごし、13歳になるとサッカー連盟直轄の育成施設、INFクレールフォンテーヌに入学。エリートコースを進んでいた。
しかし、INFではわずか6か月で退学を命じられる。数人が絡んだ“いじめ騒動”に関与してしまったからだ。良心の呵責に苛まれ、ただ一人、過ちを告白した結果だった。
その後、1998年ワールドカップの優勝メンバーであるベルナール・ディオメドが設立した私立アカデミーで1年を過ごし、13歳になるとサッカー連盟直轄の育成施設、INFクレールフォンテーヌに入学。エリートコースを進んでいた。
しかし、INFではわずか6か月で退学を命じられる。数人が絡んだ“いじめ騒動”に関与してしまったからだ。良心の呵責に苛まれ、ただ一人、過ちを告白した結果だった。
そんな彼に救いの手を差し伸べたのが、サンテティエンヌだった。スカウト担当のドミニク・フェルナンデズは、当時受けた衝撃をこう語っている。
「私の20年に及ぶスカウトキャリアで、これほど才能に溢れた若者は一度も見たことがなかった」
そこからモナコ、ハノーファー、バスチア、ニースと渡り歩き、ニューカッスルに辿り着いたドリブラーは、初挑戦のプレミアでどんなインパクトを残すのか。
構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部
※『ワールドサッカーダイジェスト9月19日号』より転載