千葉、湘南、鳥栖、横浜フリューゲルスの最強助っ人は?
■ジェフユナイテッド千葉
チェ・ヨンス(FW)
●国籍または代表:元韓国代表
●在籍:01~03年
●通算成績:J1/88試合・55得点(市原:73試合・54得点)
J2/33試合・20得点
日本代表を苦しめてきた韓国代表のストライカーは、Jリーグでも得点力を爆発させた。
01年から03年まで3年連続で15得点以上を叩き出し、通算54得点はチームの歴代外国人で最多である。
高い打点から繰り出すヘッドと右足のシュートは、コースを見極めても止め切れない威力があり、日本人GKのレベル向上を促したとの声もある。
■湘南ベルマーレ
アシエル(MF)
●国籍または代表:ブラジル
●在籍:06~11年
●通算成績:J1/0試合・0得点(湘南)
J2/196試合・50得点(湘南:196試合・48得点)
在籍6年は、助っ人としてはクラブ最長。09年には、反町康治監督の下で右ウイングに固定されると、獅子奮迅の働きでJ1昇格の歓喜を呼び込んだ。
しかし10年は、両足脛骨の疲労骨折でピッチに立てず。魔法の左足と愛くるしい笑顔が印象的な〝湘南の太陽〞に、一度でいいからJ1でプレーしてほしかったと思うサポーターは少なくない。
チェ・ヨンス(FW)
●国籍または代表:元韓国代表
●在籍:01~03年
●通算成績:J1/88試合・55得点(市原:73試合・54得点)
J2/33試合・20得点
日本代表を苦しめてきた韓国代表のストライカーは、Jリーグでも得点力を爆発させた。
01年から03年まで3年連続で15得点以上を叩き出し、通算54得点はチームの歴代外国人で最多である。
高い打点から繰り出すヘッドと右足のシュートは、コースを見極めても止め切れない威力があり、日本人GKのレベル向上を促したとの声もある。
■湘南ベルマーレ
アシエル(MF)
●国籍または代表:ブラジル
●在籍:06~11年
●通算成績:J1/0試合・0得点(湘南)
J2/196試合・50得点(湘南:196試合・48得点)
在籍6年は、助っ人としてはクラブ最長。09年には、反町康治監督の下で右ウイングに固定されると、獅子奮迅の働きでJ1昇格の歓喜を呼び込んだ。
しかし10年は、両足脛骨の疲労骨折でピッチに立てず。魔法の左足と愛くるしい笑顔が印象的な〝湘南の太陽〞に、一度でいいからJ1でプレーしてほしかったと思うサポーターは少なくない。
■サガン鳥栖
キム・ミヌ(MF)
●国籍または代表:韓国代表
●在籍:10~16年
●通算成績:J1/161試合・20得点(鳥栖)
J2/52試合・11得点(鳥栖)
韓国人と縁の深い鳥栖でも、キム・ミヌは特別な存在だろう。
J2とJ1で7年に渡りプレーしたこのレフティは、底なしのスタミナとキレのあるドリブルを、「第二の故郷」と話す鳥栖で磨き上げ、韓国代表にまで上り詰めた。
16年にキャプテンに指名されたのは、「日本人選手の倍やらなければいけない」という強い責任感が評価されたからだ。
■横浜フリューゲルス
サンパイオ(MF)
●国籍または代表:元ブラジル代表
●在籍:95~98年
●通算成績:J1/156試合・16得点(横浜F:116試合・13得点)
J2/41試合・5得点
ピッチ外では愛嬌溢れる笑顔で人気者だったブラジル代表MFは、ボランチのモデルケースと言っていい選手である。山口素弘とのダブルボランチは、機能性も補完性も申し分がなかった。
95年に時同じくして加入したMFジーニョ、FWエバイールとの「ブラジル人トリオ」は敵の脅威に。そのふたりが去った後もチームを牽引し、99年元旦の天皇杯決勝では、実質的に消滅したフリューゲルスに最後のタイトルをもたらした。
キム・ミヌ(MF)
●国籍または代表:韓国代表
●在籍:10~16年
●通算成績:J1/161試合・20得点(鳥栖)
J2/52試合・11得点(鳥栖)
韓国人と縁の深い鳥栖でも、キム・ミヌは特別な存在だろう。
J2とJ1で7年に渡りプレーしたこのレフティは、底なしのスタミナとキレのあるドリブルを、「第二の故郷」と話す鳥栖で磨き上げ、韓国代表にまで上り詰めた。
16年にキャプテンに指名されたのは、「日本人選手の倍やらなければいけない」という強い責任感が評価されたからだ。
■横浜フリューゲルス
サンパイオ(MF)
●国籍または代表:元ブラジル代表
●在籍:95~98年
●通算成績:J1/156試合・16得点(横浜F:116試合・13得点)
J2/41試合・5得点
ピッチ外では愛嬌溢れる笑顔で人気者だったブラジル代表MFは、ボランチのモデルケースと言っていい選手である。山口素弘とのダブルボランチは、機能性も補完性も申し分がなかった。
95年に時同じくして加入したMFジーニョ、FWエバイールとの「ブラジル人トリオ」は敵の脅威に。そのふたりが去った後もチームを牽引し、99年元旦の天皇杯決勝では、実質的に消滅したフリューゲルスに最後のタイトルをもたらした。