若い選手にとって、ドイツに行くことは良いことづくめ
ドイツのクラブにとっても、メリットはある。
ドルトムント戦で顔を合わせた知り合いのジャーナリストは、「フルアムとチェルシーのU-16チームの試合に、ブンデスリーガのクラブからスカウトが3人ほど視察に来ていた」と教えてくれた。
プレミアリーグからブンデスリーガに活躍の場を求める選手たちは、過去の若い英国人選手よりもはるかに技術的に熟練した存在とみなされている。そして何より安く補強でき、数年後には高い売却益をもたらす可能性を秘めた、イングランドのクラブほど資金に余裕のないドイツのクラブにとって非常に興味を引かれる存在なのだ。
ドルトムント戦で顔を合わせた知り合いのジャーナリストは、「フルアムとチェルシーのU-16チームの試合に、ブンデスリーガのクラブからスカウトが3人ほど視察に来ていた」と教えてくれた。
プレミアリーグからブンデスリーガに活躍の場を求める選手たちは、過去の若い英国人選手よりもはるかに技術的に熟練した存在とみなされている。そして何より安く補強でき、数年後には高い売却益をもたらす可能性を秘めた、イングランドのクラブほど資金に余裕のないドイツのクラブにとって非常に興味を引かれる存在なのだ。
長い歴史を誇るイングランドのフットボール界において、母国以外でプレーヤーが育つ土壌が整っているかというと、そうとは言い切れない。老いも若きも、フットボール発祥の国でプレーをし続けることで幸せを感じ、成長することに喜びを得るのが一般的だった。
そのなかでも、1980~90年代にかけては、ポール・ガスコイン、ポール・エリオット、グレアム・スーネス、ポール・インス、レイ・ウィルキンスやデビッド・プラットらといった偉大な選手たちがイタリアに渡った。そのなかにはもちろん、日本とスペインに渡ったガリー・リネカーもいる。
かつての変化と同様、余り一般的ではなかった方法だが、若くしてドイツで経験を積むという選択は、新たなサクセスロードとして主流になりつつあるといえる。
ジェイドン・サンチョがトッテナム戦でみせたパフォーマンスは、確かに手放しで称賛できる出来ではなかった。しかし、彼のポテンシャルやドイツにおける成功は揺るぎないものである。
少なくとも、彼が辿るであろう前人未到の“スターダムへの進路”は、ロンドンで彼を迎え入れた私の目には、輝かしく映った。
取材・文/スティーブ・マッケンジー(サッカーダイジェスト・ヨーロッパ)
スティーブ・マッケンジー (STEVE MACKENZIE)
profile/1968年6月7日にロンドン生まれ。ウェストハムとサウサンプトンのユースでのプレー経験があり、とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からサポーターになった。また、スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国の大学で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝に輝く。