クロアチアではドイツ語訛りを馬鹿にされ…。
しかし、デヤンが10歳の時に滞在許可を蹴られて一家は国外退去を強いられ、クロアチアのカルロバッツへと移住。ドイツ語訛りのクロアチア語を話すデヤンには、試練が待っていた。
「クラスのみんなが、『なぜ君のアクセントはおかしいんだ?』と聞くんだ。僕を笑い者にするそんな奴らが許せなくて、学校ではとことん喧嘩した。僕をリスペクトさせる唯一のもの、自己表現できる唯一のものがサッカーだったんだ」
トレーニングには人一倍熱心で、父親の車のヘッドライトを頼りに夜になってもボールを蹴り続けた。14歳で名門ディナモ・ザグレブにスカウトされると、父親は薄給の塗装工の仕事を切り上げてでも、60キロ離れた練習場まで毎日送り迎えをしたという。
「クラスのみんなが、『なぜ君のアクセントはおかしいんだ?』と聞くんだ。僕を笑い者にするそんな奴らが許せなくて、学校ではとことん喧嘩した。僕をリスペクトさせる唯一のもの、自己表現できる唯一のものがサッカーだったんだ」
トレーニングには人一倍熱心で、父親の車のヘッドライトを頼りに夜になってもボールを蹴り続けた。14歳で名門ディナモ・ザグレブにスカウトされると、父親は薄給の塗装工の仕事を切り上げてでも、60キロ離れた練習場まで毎日送り迎えをしたという。
「今までのように励むんだ」
20歳の旅立ちに際して、父親はそう簡潔にアドバイスした。たとえ故郷を失っても、辛苦を共にしてきた“家族”という原点が、ロブレンの心を支え、燃えたぎらせている。
文:長束恭行
※『ワールドサッカーダイジェスト』12月6日号の連載「クロアチアW杯優勝メンバーの分岐点」より加筆・転載。同12月20日発売号では、ドマゴイ・ヴィーダとシメ・ヴルサリコのストーリーを掲載中。
20歳の旅立ちに際して、父親はそう簡潔にアドバイスした。たとえ故郷を失っても、辛苦を共にしてきた“家族”という原点が、ロブレンの心を支え、燃えたぎらせている。
文:長束恭行
※『ワールドサッカーダイジェスト』12月6日号の連載「クロアチアW杯優勝メンバーの分岐点」より加筆・転載。同12月20日発売号では、ドマゴイ・ヴィーダとシメ・ヴルサリコのストーリーを掲載中。