全盛期の父親を超える可能性は十分だ。
毎週スタジアムでその姿を追っていたフェデリコにとって、父は絶対的なアイドルだった。ただ、そんな父から技術や戦術に関する助言を受けたことはない。それは監督の仕事であり、親の仕事ではないという信念からだ。
親としてのエンリコは、プロになれなかった時のために、インターナショナルスクールに通わせて英語を学ばせ、大学進学を勧めた。サッカー選手ではなく一人の人間として育ててきたのだ。
フィオレンティーナの育成部門ではアッリエービ(U-17)まで補欠として過ごすなど、フェデリコのキャリアは順風満帆ではなかった。才能の片鱗を見せ始めたのはプリマベーラ(U-19)に上がり、4-3-3の右ウイングとして起用されるようになってから。際立った突破力に加えて、冷静さを失わずに強気なプレー選択をする強靭なパーソナリティーは、トップチームを率いていたパウロ・ソウザの目にも留まった。
そして、16-17シーズンの開幕戦(ユベントス戦)でセリエAデビューを果たすと、そこからはまさにとんとん拍子。終盤戦では右ウイングバックのレギュラーに定着した。監督がステーファノ・ピオーリに代わった翌シーズンは4-3-3の両ウイング、3-5-2のウイングバック、ジョバンニ・シメオネとの2トップなど、様々な役割をこなしながら6得点・9アシストの活躍を見せた。
親としてのエンリコは、プロになれなかった時のために、インターナショナルスクールに通わせて英語を学ばせ、大学進学を勧めた。サッカー選手ではなく一人の人間として育ててきたのだ。
フィオレンティーナの育成部門ではアッリエービ(U-17)まで補欠として過ごすなど、フェデリコのキャリアは順風満帆ではなかった。才能の片鱗を見せ始めたのはプリマベーラ(U-19)に上がり、4-3-3の右ウイングとして起用されるようになってから。際立った突破力に加えて、冷静さを失わずに強気なプレー選択をする強靭なパーソナリティーは、トップチームを率いていたパウロ・ソウザの目にも留まった。
そして、16-17シーズンの開幕戦(ユベントス戦)でセリエAデビューを果たすと、そこからはまさにとんとん拍子。終盤戦では右ウイングバックのレギュラーに定着した。監督がステーファノ・ピオーリに代わった翌シーズンは4-3-3の両ウイング、3-5-2のウイングバック、ジョバンニ・シメオネとの2トップなど、様々な役割をこなしながら6得点・9アシストの活躍を見せた。
昨年3月に初招集されたU-21代表でもすぐにレギュラーの座を掴み、6月のU-21欧州選手権では全試合に出場して4強入りに貢献した。そして、今年の3月23日のアルゼンチン戦で待望のA代表デビュー。5月に就任したロベルト・マンチーニ監督からは、27歳のロレンツォ・インシーニェ、24歳のフェデリコ・ベルナルデスキ、ドメニコ・ベラルディと並ぶウイングのレギュラー候補と評価され、「今後のアッズーリを背負うべきタレント」と断言されている。
同世代のアタッカーの中ではすでに際立った存在で、2年後のEURO、さらには4年後のカタールW杯では、間違いなくアッズーリの攻撃陣の一翼を担っているはずだ。その頃には、すでに父の代表キャップ数を超えているだろう。
文:片野道郎
※ワールドサッカーダイジェスト2018.10.4号より加筆・修正