不毛の地に種を蒔かれた種は、間もなくして大きな芽を出した。
GKトニー・メオラとララスによるゴール前の砦は、世界最強の2トップ相手にも崩れず、攻撃ではコビー・ジョーンズやアーニー・スチュワートなどが徐々に相手ゴールに近づいていく。智将ボラ・ミルティノビッチの緻密な策も奏功し、アメリカの抵抗は徐々に効果を見せ始めた。そして43分、執拗なマークに苛立ったレオナルドが、タブ・ラモスに悪質な肘打ちを食らわせて退場処分を食らう。この時、アメリカが大番狂わせに大きく近づいたと思われた。
しかし、ひとり減ったとはいえ、後半のブラジルが守勢に守ることはなかった。サイドをケアするために中盤の攻撃手をひとり失ったものの、逆に2トップの威力が増す。たびたび決定的なピンチを迎えながらも、守護神メオラの好守などで凌いでいたアメリカだったが、72分、ロマーリオにDFの注意が集まったところで出された絶妙のパスをベベットがシュート。ボールは懸命に手を伸ばすメオラの指先をすり抜けていった。
ブラジルにとっては勝利するのに十分な1点、アメリカにとっては痛恨の1点で、試合は決した。この一戦での勝利をビル・クリントン大統領とも約束していた選手たちは、うなだれる。しかし、全てを出し尽くしたという爽快感と満足感にも溢れていた。すぐに気を取り直し、満員の観客の拍手と歓声に応えた後、改めて選手たちはこの国の特別な一日を祝った。
アメリカが独立を宣言してから218年後、大会前には何の期待もかけられていなかった集団が、全米が注視するなかで世界最強軍団に果敢に挑み、敢えなく敗れた。しかしその雄姿は、勝利以上の大きな収穫を「サッカー不毛の地」にもたらした。
この翌年、アメリカでは新プロリーグ、MLS(メジャーリーグ・サッカー)がスタート。80年代前半に消滅したNASL(北米リーグ)の過ちを繰り返さず、今度こそサッカーはこの国に根付いていったのである。
――◆――◆――
7月4日には他にも、54年スイス大会で決勝戦が行なわれ、西ドイツが強豪ハンガリーを相手に、2点ビハインドから奇跡の逆転勝利を飾った。グループリーグでは敢えて敗北(3-8の大敗)して2位通過を狙うというゼップ・ヘルベルガー監督の作戦が奏功した西ドイツだったが、決勝戦の後に多くの選手が倒れたことで、後に薬物使用疑惑が取り沙汰された。
82年スペイン大会では、2次リーグでソ連とポーランドが対戦。試合は引き分けに終わり、ポーランドが準決勝進出を決めたが、当時国際情勢において複雑な関係にあった共産圏の両国だけに、スタンドにはスポーツに関係ない文句を記した横断幕が掲げられ、運営側の指示で取り外される一幕もあった。ちなみにポーランドはこの大会期間中に、選手団、ファンがスペイン政府に亡命を申請して世界を驚かせた。
◆7月4日に行なわれた過去のW杯の試合
1954年スイス大会
「決勝」
西ドイツ 3-2 ハンガリー
1982年スペイン大会
「2次リーグ」
ソ連 0-0 ポーランド
北アイルランド 1-4 フランス
1990年イタリア大会
「準決勝」
西ドイツ 1(4PK3)1 イングランド
1994年アメリカ大会
「決勝トーナメント1回戦」
オランダ 2-0 アイルランド
ブラジル 1-0 アメリカ
1998年フランス大会
「決勝トーナメント1回戦」
オランダ 2-1 アルゼンチン
ドイツ 0-3 クロアチア
2006年ドイツ大会
「準決勝」
ドイツ 0(延長)2 イタリア
しかし、ひとり減ったとはいえ、後半のブラジルが守勢に守ることはなかった。サイドをケアするために中盤の攻撃手をひとり失ったものの、逆に2トップの威力が増す。たびたび決定的なピンチを迎えながらも、守護神メオラの好守などで凌いでいたアメリカだったが、72分、ロマーリオにDFの注意が集まったところで出された絶妙のパスをベベットがシュート。ボールは懸命に手を伸ばすメオラの指先をすり抜けていった。
ブラジルにとっては勝利するのに十分な1点、アメリカにとっては痛恨の1点で、試合は決した。この一戦での勝利をビル・クリントン大統領とも約束していた選手たちは、うなだれる。しかし、全てを出し尽くしたという爽快感と満足感にも溢れていた。すぐに気を取り直し、満員の観客の拍手と歓声に応えた後、改めて選手たちはこの国の特別な一日を祝った。
アメリカが独立を宣言してから218年後、大会前には何の期待もかけられていなかった集団が、全米が注視するなかで世界最強軍団に果敢に挑み、敢えなく敗れた。しかしその雄姿は、勝利以上の大きな収穫を「サッカー不毛の地」にもたらした。
この翌年、アメリカでは新プロリーグ、MLS(メジャーリーグ・サッカー)がスタート。80年代前半に消滅したNASL(北米リーグ)の過ちを繰り返さず、今度こそサッカーはこの国に根付いていったのである。
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7月4日には他にも、54年スイス大会で決勝戦が行なわれ、西ドイツが強豪ハンガリーを相手に、2点ビハインドから奇跡の逆転勝利を飾った。グループリーグでは敢えて敗北(3-8の大敗)して2位通過を狙うというゼップ・ヘルベルガー監督の作戦が奏功した西ドイツだったが、決勝戦の後に多くの選手が倒れたことで、後に薬物使用疑惑が取り沙汰された。
82年スペイン大会では、2次リーグでソ連とポーランドが対戦。試合は引き分けに終わり、ポーランドが準決勝進出を決めたが、当時国際情勢において複雑な関係にあった共産圏の両国だけに、スタンドにはスポーツに関係ない文句を記した横断幕が掲げられ、運営側の指示で取り外される一幕もあった。ちなみにポーランドはこの大会期間中に、選手団、ファンがスペイン政府に亡命を申請して世界を驚かせた。
◆7月4日に行なわれた過去のW杯の試合
1954年スイス大会
「決勝」
西ドイツ 3-2 ハンガリー
1982年スペイン大会
「2次リーグ」
ソ連 0-0 ポーランド
北アイルランド 1-4 フランス
1990年イタリア大会
「準決勝」
西ドイツ 1(4PK3)1 イングランド
1994年アメリカ大会
「決勝トーナメント1回戦」
オランダ 2-0 アイルランド
ブラジル 1-0 アメリカ
1998年フランス大会
「決勝トーナメント1回戦」
オランダ 2-1 アルゼンチン
ドイツ 0-3 クロアチア
2006年ドイツ大会
「準決勝」
ドイツ 0(延長)2 イタリア