延長ロスタイムのスアレスのハンドをめぐり論争巻き起こる。
2010年7月2日、南アフリカ・ヨハネスブルグのサッカーシティ・スタジアムでは、ウルグアイとガーナによる南アフリカ大会準々決勝の一戦が行なわれた。アフリカ大陸での開催ということで、スタジアムではガーナへの声援がウルグアイへのそれを完全にかき消していたことは言うまでもない。
試合はハイスパートな展開で進む。アフリカ勢としては2002年日韓大会のセネガル以来となるベスト8進出を果たして勢いに乗るガーナはもちろん、20年ぶりにグループリーグを突破したウルグアイも、相手の良さを消すよりも、ゴールを奪うことを選択し、積極的に攻撃を仕掛けていった。
見ごたえのある前半はスコアレスで終わるかに思われたが、ロスタイムにガーナのサリー・ムンタリが30メートル以上の距離から意表を突いたシュートを放つ。これが鋭くウルグアイゴールに突き刺さり、アフリカ勢が大歓声を浴びながらハーフタイムを迎えた。
しかしウルグアイもひるむことなく、後半開始から10分、ペナルティエリアに近い左サイドからのFKをディエゴ・フォルランがねじ込んで決める。角度も距離もある難しい位置だったが、コースもスピードも文句なしの一撃だった。
以降、互いにゴールを許さないまま試合は進む。徐々にガーナが攻勢を強め、大会3度目の延長戦に入ると、ますますその度合いは強まるが、ウルグアイは持ち前の守備力でこれを凌ぐ。そして延長後半のロスタイムに入ったところで、ガーナがペナルティエリア右手前でFKを得た。
ゴール前に放り込まれたボールをめぐり激しい攻防が展開され、最後にドミニク・アディヤーがヘッド。GKフェルナンド・ムスレラは飛び出しており、ボールはゴールラインを越えるかと思われたが、ライン上で守っていたFWルイス・スアレスは思わずこれを両手で弾き返す。明らかなハンドだ。すぐにガーナにPKが与えられるとともに、スアレスには一発退場の処分が下った。
この勝利決定となるはずのPKをアサモア・ギャンが決めていれば、アフリカ勢初のベスト4というポジティブな事象で終わっていたところが、過度の緊張のせいかギャンが失敗し、しかもその後のPK戦でウルグアイが勝ったことで、スアレスのハンドが大論争を巻き起こしてしまった。
「勝つためには何をしてもいいのか」「スポーツマンシップにもとる卑劣な行為である」という非難が世界中からスアレスやウルグアイ代表に向けられた一方で、「スアレスはこれによって退場処分となったのだから問題はない。全てルール内の行為である」という擁護論、はたまた「これもサッカーの一部。あえて言えば、外したギャンが悪い」という意見も……。
退場処分を受けてピッチを去る途中、ギャンのPK失敗を見て人目も気にせず喜びを爆発させ、「(ハンドは)重要なセーブだった。あれでウルグアイが勝てたんだから」と悪びれずに語ったスアレスは、結局1試合の出場停止に止まり、3位決定戦には出場を果たした。
そして4年後、スアレスはまたも大きな論争の的となり、再びピッチからの退去を命じられた。しかし今回は何の収穫も母国にもたらすことはなく、自身もあまりに大きな代償を支払う羽目となったのである。
――◆――◆――
7月2日には他にも、82年スペイン大会の2次リーグでブラジルが最大のライバルであるアルゼンチンを鮮やかなサッカーで完全撃破。3つのゴールはいずれも美しかった。逆に前回王者アルゼンチは成す術なく、ディエゴ・マラドーナは相手選手の腹を蹴る報復行為で退場処分となった。また同日、開催国スペインは西ドイツに敗れて準決勝進出の望みを完全に絶たれた。1次リーグから低調なままで、当時は「史上最悪の開催国」と酷評された。
◆7月2日に行なわれた過去のW杯の試合
1950年ブラジル大会
「1次リーグ」
メキシコ 1-2 スイス
スペイン 1-0 イングランド
チリ 5-2 アメリカ
イタリア 2-0 パラグアイ
ウルグアイ 8-0 ボリビア
1982年スペイン大会
「2次リーグ」
西ドイツ 2-1 スペイン
アルゼンチン 1-3 ブラジル
1994年アメリカ大会
「決勝トーナメント1回戦」
ドイツ 3-2 ベルギー
スペイン 3-0 スイス
2010年南アフリカ大会
「準々決勝」
オランダ 2-1 ブラジル
ウルグアイ 1(4PK2)1 ガーナ
試合はハイスパートな展開で進む。アフリカ勢としては2002年日韓大会のセネガル以来となるベスト8進出を果たして勢いに乗るガーナはもちろん、20年ぶりにグループリーグを突破したウルグアイも、相手の良さを消すよりも、ゴールを奪うことを選択し、積極的に攻撃を仕掛けていった。
見ごたえのある前半はスコアレスで終わるかに思われたが、ロスタイムにガーナのサリー・ムンタリが30メートル以上の距離から意表を突いたシュートを放つ。これが鋭くウルグアイゴールに突き刺さり、アフリカ勢が大歓声を浴びながらハーフタイムを迎えた。
しかしウルグアイもひるむことなく、後半開始から10分、ペナルティエリアに近い左サイドからのFKをディエゴ・フォルランがねじ込んで決める。角度も距離もある難しい位置だったが、コースもスピードも文句なしの一撃だった。
以降、互いにゴールを許さないまま試合は進む。徐々にガーナが攻勢を強め、大会3度目の延長戦に入ると、ますますその度合いは強まるが、ウルグアイは持ち前の守備力でこれを凌ぐ。そして延長後半のロスタイムに入ったところで、ガーナがペナルティエリア右手前でFKを得た。
ゴール前に放り込まれたボールをめぐり激しい攻防が展開され、最後にドミニク・アディヤーがヘッド。GKフェルナンド・ムスレラは飛び出しており、ボールはゴールラインを越えるかと思われたが、ライン上で守っていたFWルイス・スアレスは思わずこれを両手で弾き返す。明らかなハンドだ。すぐにガーナにPKが与えられるとともに、スアレスには一発退場の処分が下った。
この勝利決定となるはずのPKをアサモア・ギャンが決めていれば、アフリカ勢初のベスト4というポジティブな事象で終わっていたところが、過度の緊張のせいかギャンが失敗し、しかもその後のPK戦でウルグアイが勝ったことで、スアレスのハンドが大論争を巻き起こしてしまった。
「勝つためには何をしてもいいのか」「スポーツマンシップにもとる卑劣な行為である」という非難が世界中からスアレスやウルグアイ代表に向けられた一方で、「スアレスはこれによって退場処分となったのだから問題はない。全てルール内の行為である」という擁護論、はたまた「これもサッカーの一部。あえて言えば、外したギャンが悪い」という意見も……。
退場処分を受けてピッチを去る途中、ギャンのPK失敗を見て人目も気にせず喜びを爆発させ、「(ハンドは)重要なセーブだった。あれでウルグアイが勝てたんだから」と悪びれずに語ったスアレスは、結局1試合の出場停止に止まり、3位決定戦には出場を果たした。
そして4年後、スアレスはまたも大きな論争の的となり、再びピッチからの退去を命じられた。しかし今回は何の収穫も母国にもたらすことはなく、自身もあまりに大きな代償を支払う羽目となったのである。
――◆――◆――
7月2日には他にも、82年スペイン大会の2次リーグでブラジルが最大のライバルであるアルゼンチンを鮮やかなサッカーで完全撃破。3つのゴールはいずれも美しかった。逆に前回王者アルゼンチは成す術なく、ディエゴ・マラドーナは相手選手の腹を蹴る報復行為で退場処分となった。また同日、開催国スペインは西ドイツに敗れて準決勝進出の望みを完全に絶たれた。1次リーグから低調なままで、当時は「史上最悪の開催国」と酷評された。
◆7月2日に行なわれた過去のW杯の試合
1950年ブラジル大会
「1次リーグ」
メキシコ 1-2 スイス
スペイン 1-0 イングランド
チリ 5-2 アメリカ
イタリア 2-0 パラグアイ
ウルグアイ 8-0 ボリビア
1982年スペイン大会
「2次リーグ」
西ドイツ 2-1 スペイン
アルゼンチン 1-3 ブラジル
1994年アメリカ大会
「決勝トーナメント1回戦」
ドイツ 3-2 ベルギー
スペイン 3-0 スイス
2010年南アフリカ大会
「準々決勝」
オランダ 2-1 ブラジル
ウルグアイ 1(4PK2)1 ガーナ