徹底的マークされたマラドーナが最後に通した栄光へのパス。
ペレの初戴冠から28年後、中米メキシコの首都メキシコシティでは、アルゼンチンと西ドイツが黄金のトロフィーを巡って最後の戦いに臨んだ。11万5千人の観衆だけでなく、この試合をテレビで観る全世界の人々が、ひとりのアルゼンチン人プレーヤーに注目していた。
ディエゴ・アルマンド・マラドーナ。25歳のキャプテンは、この大会ですでにいくつもの伝説を生み出していた。グループリーグでは韓国、ブルガリアとの試合でドリブルからアシストを決め、イタリア戦では絶妙なタイミングのシュートで初得点。準々決勝イングランド戦では「神の手」と「5人抜き」の2ゴールで世界を魅了し、準決勝のベルギー戦でも抜群の俊敏性と巧みなドリブルで再びふたつのゴールを決めていた。
もはや、誰も止められない存在となっていたマラドーナ。ゆえに試合前、メディアの関心は「西ドイツは、誰がマラドーナをマークするのか」という点に集中した。そして、この大役はローター・マテウスが担う。西ドイツにとってこの作戦は成功であり、実際、マラドーナは前半、ほとんど前を向いてプレーすることはできなかった。しかし試合は、アルゼンチンが23分にFKからホセ・ルイス・ブラウンのヘッドでの先制点を挙げていた。
後半が始まって11分、アルゼンチンがホルヘ・ヴァルダーノのドリブルシュートで追加点を挙げると、状況は大きく変わる。もはやゴールを奪うしかなくなった西ドイツのフランツ・ベッケンバウアー監督は、マテウスを攻撃に回す。この策は奏功し、攻撃が活性化した西ドイツは驚異的な巻き返しを見せ、74分にカールハインツ・ルムメニゲが、81分にルディ・フェラーが、それぞれCKから似たような形でゴールを挙げ、アルゼンチンに追いついた。
勢いを増し、決勝点を狙う西ドイツ。しかし、アルゼンチンにはマテウスのマークから解放されて自由になったマラドーナがいた。試合の大部分で消えていた天才は同点劇からわずか3分後、複数の選手に囲まれながら、さりげなく、しかし正確に前線のホルヘ・ブルチャガにスルーパスを通す。完全にフリーになったブルチャガは難なくGKハラルド・シューマッハーを破り、この試合の決勝点を、そして世界一を決めるゴールを挙げた。
歓喜するアルゼンチン。ガックリと膝をついて動けない西ドイツ。勝負はあった。準決勝まではドリブルで魅せ続けたマラドーナが、厳しいマークに苦しんだ決勝戦では相手を引き付ける役に回り、最後の最後に自身の左足でのパスで勝負を決めた。
16年前にペレが3度目の世界一に輝いたエスタディオ・アステカで、ペレと同じように仲間やピッチに乱入したファンに肩車されてウイニングランを行なうマラドーナ。それは、サッカー界に新たな王様が誕生したことを、世界中の人々に印象づける光景だった。
――◆――◆――
6月29日には他にも、50年ブラジル大会でワールドカップ初出場を果たした“サッカーの母国”イングランドが、アマチュア選手で構成されたアメリカに敗れるという、おそらくはワールドカップ史上最大の波乱が起こった。
82年スペイン大会の2次リーグでは、1次リーグ3引き分けと絶不調に終わっていたイタリアが、前回王者アルゼンチンを鮮やかなカウンター2発で破り、後の優勝に向けて勢いを得た。
94年アメリカ大会では、サウジアラビアのサイード・アル・オワイランが60メートルにもおよぶドリブルシュートを決め、ベルギー下して決勝トーナメント進出を決めた。
2002年日韓大会では、韓国がトルコとの3位決定戦に敗れたものの、アジア最高位となる4位入賞を果たした。
そして前回南アフリカ大会では、決勝トーナメント1回戦で日本がパラグアイと対決。激闘の末にPK戦で敗れたものの、ポジティブな印象を残して大会を終えた。
◆6月29日に行なわれた過去のW杯の試合
1950年ブラジル大会
「1次リーグ」
スペイン 2-0 チリ
アメリカ 1-0 イングランド
スウェーデン 2-2 パラグアイ
1958年スウェーデン大会
「決勝」
ブラジル 5-2 スウェーデン
1982年スペイン大会
「2次リーグ」
西ドイツ 0-0 イングランド
アルゼンチン 1-2 イタリア
1986年メキシコ大会
「決勝」
アルゼンチン 3-2 西ドイツ
1994年アメリカ大会
「グループリーグ」
サウジアラビア 1-0 ベルギー
オランダ 2-1 モロッコ
1998年フランス大会
「決勝トーナメント1回戦」
ドイツ 2-1 メキシコ
オランダ 2-1 ユーゴスラビア
2002年日韓大会
「3位決定戦」
韓国 2-3 トルコ
2010年南アフリカ大会
「決勝トーナメント1回戦」
パラグアイ 0(5PK3)0 日本
スペイン 1-0 ポルトガル
ディエゴ・アルマンド・マラドーナ。25歳のキャプテンは、この大会ですでにいくつもの伝説を生み出していた。グループリーグでは韓国、ブルガリアとの試合でドリブルからアシストを決め、イタリア戦では絶妙なタイミングのシュートで初得点。準々決勝イングランド戦では「神の手」と「5人抜き」の2ゴールで世界を魅了し、準決勝のベルギー戦でも抜群の俊敏性と巧みなドリブルで再びふたつのゴールを決めていた。
もはや、誰も止められない存在となっていたマラドーナ。ゆえに試合前、メディアの関心は「西ドイツは、誰がマラドーナをマークするのか」という点に集中した。そして、この大役はローター・マテウスが担う。西ドイツにとってこの作戦は成功であり、実際、マラドーナは前半、ほとんど前を向いてプレーすることはできなかった。しかし試合は、アルゼンチンが23分にFKからホセ・ルイス・ブラウンのヘッドでの先制点を挙げていた。
後半が始まって11分、アルゼンチンがホルヘ・ヴァルダーノのドリブルシュートで追加点を挙げると、状況は大きく変わる。もはやゴールを奪うしかなくなった西ドイツのフランツ・ベッケンバウアー監督は、マテウスを攻撃に回す。この策は奏功し、攻撃が活性化した西ドイツは驚異的な巻き返しを見せ、74分にカールハインツ・ルムメニゲが、81分にルディ・フェラーが、それぞれCKから似たような形でゴールを挙げ、アルゼンチンに追いついた。
勢いを増し、決勝点を狙う西ドイツ。しかし、アルゼンチンにはマテウスのマークから解放されて自由になったマラドーナがいた。試合の大部分で消えていた天才は同点劇からわずか3分後、複数の選手に囲まれながら、さりげなく、しかし正確に前線のホルヘ・ブルチャガにスルーパスを通す。完全にフリーになったブルチャガは難なくGKハラルド・シューマッハーを破り、この試合の決勝点を、そして世界一を決めるゴールを挙げた。
歓喜するアルゼンチン。ガックリと膝をついて動けない西ドイツ。勝負はあった。準決勝まではドリブルで魅せ続けたマラドーナが、厳しいマークに苦しんだ決勝戦では相手を引き付ける役に回り、最後の最後に自身の左足でのパスで勝負を決めた。
16年前にペレが3度目の世界一に輝いたエスタディオ・アステカで、ペレと同じように仲間やピッチに乱入したファンに肩車されてウイニングランを行なうマラドーナ。それは、サッカー界に新たな王様が誕生したことを、世界中の人々に印象づける光景だった。
――◆――◆――
6月29日には他にも、50年ブラジル大会でワールドカップ初出場を果たした“サッカーの母国”イングランドが、アマチュア選手で構成されたアメリカに敗れるという、おそらくはワールドカップ史上最大の波乱が起こった。
82年スペイン大会の2次リーグでは、1次リーグ3引き分けと絶不調に終わっていたイタリアが、前回王者アルゼンチンを鮮やかなカウンター2発で破り、後の優勝に向けて勢いを得た。
94年アメリカ大会では、サウジアラビアのサイード・アル・オワイランが60メートルにもおよぶドリブルシュートを決め、ベルギー下して決勝トーナメント進出を決めた。
2002年日韓大会では、韓国がトルコとの3位決定戦に敗れたものの、アジア最高位となる4位入賞を果たした。
そして前回南アフリカ大会では、決勝トーナメント1回戦で日本がパラグアイと対決。激闘の末にPK戦で敗れたものの、ポジティブな印象を残して大会を終えた。
◆6月29日に行なわれた過去のW杯の試合
1950年ブラジル大会
「1次リーグ」
スペイン 2-0 チリ
アメリカ 1-0 イングランド
スウェーデン 2-2 パラグアイ
1958年スウェーデン大会
「決勝」
ブラジル 5-2 スウェーデン
1982年スペイン大会
「2次リーグ」
西ドイツ 0-0 イングランド
アルゼンチン 1-2 イタリア
1986年メキシコ大会
「決勝」
アルゼンチン 3-2 西ドイツ
1994年アメリカ大会
「グループリーグ」
サウジアラビア 1-0 ベルギー
オランダ 2-1 モロッコ
1998年フランス大会
「決勝トーナメント1回戦」
ドイツ 2-1 メキシコ
オランダ 2-1 ユーゴスラビア
2002年日韓大会
「3位決定戦」
韓国 2-3 トルコ
2010年南アフリカ大会
「決勝トーナメント1回戦」
パラグアイ 0(5PK3)0 日本
スペイン 1-0 ポルトガル