サントスの下部組織では常に年齢より上のカテゴリーでプレー!
サントスの下部組織では常に年齢より上のカテゴリーでプレー。そして、17歳になった直後にトップチームデビューを飾った。3戦目のモジミリン戦で初ゴールをマークし、ほどなくレギュラーを奪取すると、そこからはまさに一足飛び。2010 年の南アフリカ・ワールドカップ直後のアメリカ戦(8月10日)で、当時18 歳の若さでブラジル代表デビューすると、その試合で初得点を記録。セレソンでもたちまち主軸となった。
そんな未来のスター候補を欧州のメガクラブが放っておくわけはなく、オファーが殺到。激しい争奪戦は最終的にバルセロナとR・マドリーの一騎打ちとなり、2013年5月、「幼い頃からの憧れだった」バルセロナに移籍を果たしたのである。
ネイマールにとっての最初のターニングポイントは、「サッカー王国」ブラジルでも選手育成に定評のあるサントスの門を叩いたことだろう。
そんな未来のスター候補を欧州のメガクラブが放っておくわけはなく、オファーが殺到。激しい争奪戦は最終的にバルセロナとR・マドリーの一騎打ちとなり、2013年5月、「幼い頃からの憧れだった」バルセロナに移籍を果たしたのである。
ネイマールにとっての最初のターニングポイントは、「サッカー王国」ブラジルでも選手育成に定評のあるサントスの門を叩いたことだろう。
「目先の試合に勝つためにフィジカルを鍛えたり、戦術を叩き込んだりするのはナンセンス。テクニック、アイデア、創造性を重視し、選手一人ひとりの個性を重んじる」(下部組織のスーパーバイザー)という育成方針のもと、その豊かな才能は育まれた。
13歳のときに好条件を提示したR・マドリーの誘いをあえて断り、以降の数年間を欧州に比べれば重圧がなく、サッカーに集中できる最適の環境で過ごせたのも幸いした。
また、14 歳のときに父親が仕事を辞め、全面的にサポートしてくれたのも大きかった。父親は、「自分はプロ選手としては成功しなかったが、少なくとも『こうやったら失敗するから気を付けろ』とは言える」と笑うが、元プロ選手から日常的にアドバイスを受けられたのはきわめて有益だったはずだ。
代理人という立場でも息子を支える父親との二人三脚で、ネイマールは一気にスターダムへのし上がっていったのである。
文:沢田啓明
※ワールドサッカーダイジェスト2018.03.15号より加筆・修正