ハリルの戦法もやり方のひとつではあったが…
「相手の良さを徹底的に消し、1—0で勝つ」
そのサッカーに対し、イタリア人は嫌悪感を抱かなかった。むしろ、勝負の方程式として賛美した。スペイン人とは、サッカーに対するアプローチが全く違っているのだ。
「この国には、フットボールはない。あるのはカルチョさ」
かつて、バルサからイタリアのクラブに移籍したファンタジスタ、イバン・デ・ラ・ペーニャは洩らしている。
そのサッカーに対し、イタリア人は嫌悪感を抱かなかった。むしろ、勝負の方程式として賛美した。スペイン人とは、サッカーに対するアプローチが全く違っているのだ。
「この国には、フットボールはない。あるのはカルチョさ」
かつて、バルサからイタリアのクラブに移籍したファンタジスタ、イバン・デ・ラ・ペーニャは洩らしている。
日本サッカー界でも、どんなスタイルが合うのか、あるいは確立すべきか、という議論がある。
ヴァイッド・ハリルホジッチが志向したサッカーは、ひとつのやり方ではあった。しかし、国内にカウンターを確立したチームがないなかで、代表監督がこれを強行するのは、さすがに無理があったと言えるかも知れない。
しかし、結果がどう転ぶかは分からないものだ。
ちなみに、エレーラを解任したバルサはその後、10年以上もリーガ優勝から遠ざかってきた(エースのクバラが暴力的タックルで膝を壊されたことの影響もあった)。
次に国内王者となったのは、73—74シーズン、あのヨハン・クライフが選手としてバルサに到来した時だ。さらにそれから15年後、クライフが監督として復帰し、今のバルサの土台を作り上げたのである。
文:小宮 良之
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月には『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たした。