2015年の夏、インド全土が注目した一大イベントで1250万円で落札される!?
――インドへ渡って6年目に国籍を変更され、翌年にはインド代表に選出されました。当時の心境は如何でしたか?
「2013年から14年の期間、代表に呼んでもらいました。国籍を換えることはすごく悩みましたが、結果、目標だったインド代表にも選んでもらえましたし、良かったという思いです」
――2015年夏のISL主催プレーヤーオークションでは、リーグ初代覇者でもあるアトレティコ・デ・コルカタに680万ルピー(約1250万円)で落札されての移籍が話題になったとか。
「そうなんです。簡単に言うと、競走馬の競りみたいなもので、ISLから選ばれた10選手が競りに掛けられたんです。その模様はテレビで生中継されて盛り上がりましたよ。要はリーグを盛り上げるための派手なプロモーションですよね。でもあれは列記とした“公然人身売買”ですからね。凄いことをするなと思いましたけど。結局翌年からはなくなりましたから(笑)」
――でもそこへ選ばれたのは、培ったインドでの実績が買われての評価だったのでしょう。
「有り難いことだなと。当時、すでにインド国籍を持っていたのですが、何やかんや言っても外国人扱いされるんです。ISLが私を参加させるメリットを感じたのでしょうが、インド全土が注目した一大イベントに選んでくれたことは、素直に嬉しかったです」
――◆――◆――
米IMG社がプロモーションを仕掛けるISL。引退前のビッグネームを連れて来たり、選手を競りにかけてみたりと、ショー的要素が強いことは否めないのだが、“絶対王者”クリケットの牙城へ割り込み、インドでプロサッカーを根付かせたい必死さを感じる。
今季、和泉が移籍したケーララ・ブラスターズFCでは、ブルガリア代表の最多得点記録保持者であるディミタール・ベルバトフや、プレミアリーグで21シーズンに渡りプレーしたキャリアを持つ元イングランド代表、ウェス・ブラウン(共に元マンチェスター・U所属)がチームメイトだという。昨季までシーズンが“3か月”だけのリーグで、彼らのようなビッグネームには、1億円前後のサラリーが支払われていたらしい。今季からはシーズンが延びるので、それ以上を得るのだろう。広域なアジア、バブリーなリーグは極東の大国だけではないようだ。
プネーFC在籍時の2010年、チームのフィジオセラピストだったインド人女性と恋に落ちた和泉は、その後めでたく結ばれ、娘も授かっている。彼がインドの地でチャレンジし続ける背景に、後戻りできない強い覚悟も感じた。生まれながらに持つ“侍スピリット”は脈々と流れている。
■プロフィール
和泉 新(いずみ・あらた)
1982年生まれ、山口県下関市出身。インド人の父と日本人の母との間に生まれる。日本での選手歴としてはJFLクラブが最高位だったが、海を渡りプロになった。2006年、インドの名門クラブ“イースト・ベンガルFC”へ移籍。07年に設立されたIリーグでは初の日本人選手となる。12年にはインド国籍を取得、翌年、オランダ人のウィム・クーフェルマンス代表監督(当時)に見出されインド代表に選出される。今までの歴史で国外出身のインド代表選手は未だ和泉ただひとりだ。攻撃的なプレースタイルのみならず、インド映画俳優顔負けのルックスもファンを虜にさせている。
「2013年から14年の期間、代表に呼んでもらいました。国籍を換えることはすごく悩みましたが、結果、目標だったインド代表にも選んでもらえましたし、良かったという思いです」
――2015年夏のISL主催プレーヤーオークションでは、リーグ初代覇者でもあるアトレティコ・デ・コルカタに680万ルピー(約1250万円)で落札されての移籍が話題になったとか。
「そうなんです。簡単に言うと、競走馬の競りみたいなもので、ISLから選ばれた10選手が競りに掛けられたんです。その模様はテレビで生中継されて盛り上がりましたよ。要はリーグを盛り上げるための派手なプロモーションですよね。でもあれは列記とした“公然人身売買”ですからね。凄いことをするなと思いましたけど。結局翌年からはなくなりましたから(笑)」
――でもそこへ選ばれたのは、培ったインドでの実績が買われての評価だったのでしょう。
「有り難いことだなと。当時、すでにインド国籍を持っていたのですが、何やかんや言っても外国人扱いされるんです。ISLが私を参加させるメリットを感じたのでしょうが、インド全土が注目した一大イベントに選んでくれたことは、素直に嬉しかったです」
――◆――◆――
米IMG社がプロモーションを仕掛けるISL。引退前のビッグネームを連れて来たり、選手を競りにかけてみたりと、ショー的要素が強いことは否めないのだが、“絶対王者”クリケットの牙城へ割り込み、インドでプロサッカーを根付かせたい必死さを感じる。
今季、和泉が移籍したケーララ・ブラスターズFCでは、ブルガリア代表の最多得点記録保持者であるディミタール・ベルバトフや、プレミアリーグで21シーズンに渡りプレーしたキャリアを持つ元イングランド代表、ウェス・ブラウン(共に元マンチェスター・U所属)がチームメイトだという。昨季までシーズンが“3か月”だけのリーグで、彼らのようなビッグネームには、1億円前後のサラリーが支払われていたらしい。今季からはシーズンが延びるので、それ以上を得るのだろう。広域なアジア、バブリーなリーグは極東の大国だけではないようだ。
プネーFC在籍時の2010年、チームのフィジオセラピストだったインド人女性と恋に落ちた和泉は、その後めでたく結ばれ、娘も授かっている。彼がインドの地でチャレンジし続ける背景に、後戻りできない強い覚悟も感じた。生まれながらに持つ“侍スピリット”は脈々と流れている。
■プロフィール
和泉 新(いずみ・あらた)
1982年生まれ、山口県下関市出身。インド人の父と日本人の母との間に生まれる。日本での選手歴としてはJFLクラブが最高位だったが、海を渡りプロになった。2006年、インドの名門クラブ“イースト・ベンガルFC”へ移籍。07年に設立されたIリーグでは初の日本人選手となる。12年にはインド国籍を取得、翌年、オランダ人のウィム・クーフェルマンス代表監督(当時)に見出されインド代表に選出される。今までの歴史で国外出身のインド代表選手は未だ和泉ただひとりだ。攻撃的なプレースタイルのみならず、インド映画俳優顔負けのルックスもファンを虜にさせている。