【黄金世代・復刻版】名手誕生~ボランチ稲本潤一はいかにして完成したのか(前編)

カテゴリ:特集

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年08月18日

未来をおもんぱかる恩師と、逸材探しに奔走するもうひとりの恩師。

10代の頃から確固たるビジョンを持ち、軽率な発言が少なかった稲本。プロ意識の高い若者だった。(C)SOCCER DIGEST

画像を見る

 タイミングは、抜群だった。
 
 1992年冬。巷ではJリーグ創生の機運が高まり、異常なまでの盛り上がりは関西地域をも席巻していた。初年度から名を連ねていたガンバ大阪は、Jリーグ正会員の条件を満たすべく、下部組織の体系づくりに奔走していた。ジュニアユースとユース、その統括を任されたのが上野山信行である。
 
 当時はまだセレクションなどの選考システムが確立されておらず、各地でこんな逸材がいるという情報を聞きつけては、上野山が足を運んで品定めするの繰り返し。ちなみに同時期、ユースチームの第1期生には宮本恒靖の名前もあった。上野山は自らが持つすべてのパイプを駆使し、低迷していた関西ユースサッカーの雄たらんと、チーム構築に情熱を注いでいたのだ。
 
 それを知人から聞いた川口は迷わず、上野山と潤一を引き合わせる手はずを整えた。
 
 前身である釜本邦茂サッカースクールでも育成にあたり、自分なりの目利きには自信があった上野山。潤一への第一印象は、こんな感じだった。
 
「なんちゅうしっかりした技術を持っている子なんやろ。これは化けるぞ」
 
 入団にまったく障壁がなかったわけではない。潤一の母である幸子は、練習グランドのある吹田や豊中まで、堺から電車を乗り継ぎ1時間半以上もかかることを心配していた。すでに堺の上野芝中に進学することが決まり、青英学園の友人たちと一緒にサッカーをする、それで十分ではないのかと考えていたのだ。
 
 しかし、ガンバからの誘いを受け、あっという間に夢を膨らませた潤一の想いがすべてを変えた。上野山の助言もあり、幸子は家族全員が潤一を応援することで、精神的な支えになろうと決めたのである。
 
 潤一とガンバ。9年半に及ぶ長いストーリーは、こうして始まった。
 
【関連記事】
【黄金世代】第4回・稲本潤一「浪速の風雲児、ここにあり!」(#1)
【黄金世代・復刻版】名手誕生~ボランチ稲本潤一はいかにして完成したのか(後編)
【G大阪】ガンバ最強助っ人はいったい誰? 遠藤保仁の回答が超意外だった
【黄金世代】第1回・小野伸二「なぜ私たちはこのファンタジスタに魅了されるのか」(♯1)
【黄金世代】第2回・遠藤保仁「それは、桜島からはじまった」(♯1)
【黄金世代】第3回・小笠原満男「誕生、東北のファンタジスタ」(#1)

サッカーダイジェストTV

詳細を見る

 動画をもっと見る

Facebookでコメント

サッカーダイジェストの最新号

  • 週刊サッカーダイジェスト なでしこJに続け!
    4月10日発売
    U-23日本代表
    パリ五輪最終予選
    展望&ガイド
    熾烈なバトルを総力特集
    詳細はこちら

  • ワールドサッカーダイジェスト 世界各国の超逸材を紹介!
    4月18日発売
    母国をさらなる高みに導く
    「新・黄金世代」大研究
    列強国も中小国も
    世界の才能を徹底網羅!!
    詳細はこちら

  • 高校サッカーダイジェスト 高校サッカーダイジェストVo.40
    1月12日発売
    第102回全国高校選手権
    決戦速報号
    青森山田が4度目V
    全47試合を完全レポート
    詳細はこちら

>>広告掲載のお問合せ

ページトップへ