アルゼンチン王者のラヌース戦で見えた課題。
インテル・デ・ラージェス戦から中4日の3月16日は、コパ・リベルタドーレスの1次リーグ第2戦。アルゼンチン王者のラヌースをホームに迎えた。
ラヌースは初戦でナシオナル(ウルグアイ)と対戦し、押し気味に試合を進めながらも一発のカウンターに沈み0-1で敗れていた。この試合も落とすようだと、かなり苦しくなる。一方、前日に行なわれたナシオナル対スリア戦で、大方の予想を裏切りスリアが1-0の勝利を収めたため、シャペコエンセは勝てば勝点6、引き分けでも勝点4でグループ首位に立てるという状況にあった。
コパ・リベルタドーレスでのホーム初戦とあって、本拠地アレーナ・コンダは勝利を期待する観衆で埋め尽くされた。試合前にマンシーニ監督が、「チーム作りは自分の予想以上の速さで進んでおり、すでに理想の70~75パーセント到達している」と自信をのぞかせていたことも、ファンの期待を煽った。
フォーメーションはスリア戦と同じ4-3-3。立ち上がりは優位に試合を進めた。しかし11分、モイゼス・リベイロが左太ももを痛めてピッチを退き、代わってオズマンが出場。この交代を機に中盤の守備力が低下し、ラヌースの巧みなパス回しに対応できなくなる。ボールを奪ってもトラップやパスのミスが多く、すぐに失った。
それでも50分、味方のミドルシュートを判断良くトラップした右ウイングのロッシが至近距離から決めて先制する。しかしその直後だった。グラウンダーのクロスをニコラス・アギーレに合わせられ同点に。67分にはペナルティーエリア内でFWのラウタロ・アコスタを倒してPKを献上。これをホセ・サンドに決められてしまう。さらに81分、右サイドからのクロスをアコスタに押し込まれて、万事休す。シャペコエンセは1-3で敗れた。
マンシーニ監督は試合後、「攻守両面でミスが多かった」と完敗を認め、「まだまだ改善すべき点が多い。今後、さらに戦術練習を積み重ね、攻守両面における連携を一層深化させたい」と課題を述べた。そして、全国リーグが開幕する5月上旬までに何人かの選手を補強する意向を明らかにした。
たしかに、課題を露呈した一戦だった。守備は相手の中盤での素早いパス回しについていけず、カバーリングが機能せず。攻撃は中盤で基本的なミスが続出し、ラヌースの守備ブロックにボールを奪われてしまった。得意のサイド攻撃は不発。相手の老獪な試合運びに、翻弄された部分もあった。
ラヌース戦の後は3月19日、22日、26日に州選手権の3試合を戦った。中2日でアトレチコ・トゥバロンをホームに迎えた一戦は、ジロットのハットトリックなどで7-0と大勝。ラヌース戦のショックを振り払った。
敵地に乗り込んだアウミランテ・バローゾ戦は、2点をリードされる苦しい展開のなか、終盤に盛んな闘志と豊富な運動量を発揮して猛攻を繰り広げ、3点を奪って大逆転勝利。続く強豪アバイとの大一番も、ジロットらの得点により2-0の快勝を収めた。この結果、3勝1分けで勝点を10に積み上げ、得失点差でジョインビーレを上回って首位に立った。
3月はコパ・リベルタドーレスが2試合(1試合は往復60時間の移動を要したアウェー戦)、州リーグが5試合、プリメイラ・リーガ(ブラジル南部を中心とする6州の強豪16クラブが参加)が1試合の計8試合という厳しい日程をこなした。
(第4回につづく)
取材・文:沢田啓明
※ワールドサッカーダイジェスト2017.04.20号より加筆・修正
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【著者プロフィール】
さわだ ひろあき/1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。
ラヌースは初戦でナシオナル(ウルグアイ)と対戦し、押し気味に試合を進めながらも一発のカウンターに沈み0-1で敗れていた。この試合も落とすようだと、かなり苦しくなる。一方、前日に行なわれたナシオナル対スリア戦で、大方の予想を裏切りスリアが1-0の勝利を収めたため、シャペコエンセは勝てば勝点6、引き分けでも勝点4でグループ首位に立てるという状況にあった。
コパ・リベルタドーレスでのホーム初戦とあって、本拠地アレーナ・コンダは勝利を期待する観衆で埋め尽くされた。試合前にマンシーニ監督が、「チーム作りは自分の予想以上の速さで進んでおり、すでに理想の70~75パーセント到達している」と自信をのぞかせていたことも、ファンの期待を煽った。
フォーメーションはスリア戦と同じ4-3-3。立ち上がりは優位に試合を進めた。しかし11分、モイゼス・リベイロが左太ももを痛めてピッチを退き、代わってオズマンが出場。この交代を機に中盤の守備力が低下し、ラヌースの巧みなパス回しに対応できなくなる。ボールを奪ってもトラップやパスのミスが多く、すぐに失った。
それでも50分、味方のミドルシュートを判断良くトラップした右ウイングのロッシが至近距離から決めて先制する。しかしその直後だった。グラウンダーのクロスをニコラス・アギーレに合わせられ同点に。67分にはペナルティーエリア内でFWのラウタロ・アコスタを倒してPKを献上。これをホセ・サンドに決められてしまう。さらに81分、右サイドからのクロスをアコスタに押し込まれて、万事休す。シャペコエンセは1-3で敗れた。
マンシーニ監督は試合後、「攻守両面でミスが多かった」と完敗を認め、「まだまだ改善すべき点が多い。今後、さらに戦術練習を積み重ね、攻守両面における連携を一層深化させたい」と課題を述べた。そして、全国リーグが開幕する5月上旬までに何人かの選手を補強する意向を明らかにした。
たしかに、課題を露呈した一戦だった。守備は相手の中盤での素早いパス回しについていけず、カバーリングが機能せず。攻撃は中盤で基本的なミスが続出し、ラヌースの守備ブロックにボールを奪われてしまった。得意のサイド攻撃は不発。相手の老獪な試合運びに、翻弄された部分もあった。
ラヌース戦の後は3月19日、22日、26日に州選手権の3試合を戦った。中2日でアトレチコ・トゥバロンをホームに迎えた一戦は、ジロットのハットトリックなどで7-0と大勝。ラヌース戦のショックを振り払った。
敵地に乗り込んだアウミランテ・バローゾ戦は、2点をリードされる苦しい展開のなか、終盤に盛んな闘志と豊富な運動量を発揮して猛攻を繰り広げ、3点を奪って大逆転勝利。続く強豪アバイとの大一番も、ジロットらの得点により2-0の快勝を収めた。この結果、3勝1分けで勝点を10に積み上げ、得失点差でジョインビーレを上回って首位に立った。
3月はコパ・リベルタドーレスが2試合(1試合は往復60時間の移動を要したアウェー戦)、州リーグが5試合、プリメイラ・リーガ(ブラジル南部を中心とする6州の強豪16クラブが参加)が1試合の計8試合という厳しい日程をこなした。
(第4回につづく)
取材・文:沢田啓明
※ワールドサッカーダイジェスト2017.04.20号より加筆・修正
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【著者プロフィール】
さわだ ひろあき/1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。