クラブとチームを同時に再建するという困難なタスク。
殺人的なこの日程に対応すべく、シャペコエンセは2月下旬までに25選手を獲得し、U-20の9選手をトップチームへと引き上げた。
事故前から在籍する選手が4人おり、そこにあの悲劇から生還して数か月後の復帰を目指すCBネットと左SBアラン・ルシェウを含めれば、メンバーは総勢40人。A(一軍)とB(二軍)の2チームを編成し、日程と大会の重要度に応じて使い分けている。
Aチームの基本フォーメーションは4-2-1-3。ダブルボランチは、1対1の守備に定評のあるベテランのアマラウと、昨年は京都サンガで活躍したアンドレイ・ジロットのペアがファーストチョイスで、トップ下の定位置をテクニシャンのアレハンドロ・マルティヌッシオと運動量が豊富なナジソンが争う。
右ウイングはスピードとテクニックを兼備するロッシ、CFは決定力に秀でるウェリントン・パウリスタか、長身で空中戦に抜群の強さを発揮するトゥーリオ・デ・メロで、左ウイングは精度の高いクロスが持ち味のニウチーニョという布陣だった。
ヴァグネル・マンシーニ監督は、中盤で激しいプレッシャーをかけてボールを奪い、手数をかけず素早く縦に攻めるスタイルを志向する。
しかし、1月頃のチームは連係が不十分で、守備はカバーリングのミスが多く、攻撃は最後の崩しの場面でなかなか呼吸が合わなかった。それもそうだろう。チームの主力がほぼ入れ替わっているのだから。
「奇跡のクラブ」が挑んでいるのは、事故で露と消えたクラブとチームを同時に再建するという、世界サッカー史上でも前例のない極めて困難なタスクなのである。
(第3回につづく)
取材・文:沢田啓明
※ワールドサッカーダイジェスト2017.03.16号より加筆・修正
――――――――――――◆――――――◆――――――――――――
【著者プロフィール】
さわだ ひろあき/1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。
事故前から在籍する選手が4人おり、そこにあの悲劇から生還して数か月後の復帰を目指すCBネットと左SBアラン・ルシェウを含めれば、メンバーは総勢40人。A(一軍)とB(二軍)の2チームを編成し、日程と大会の重要度に応じて使い分けている。
Aチームの基本フォーメーションは4-2-1-3。ダブルボランチは、1対1の守備に定評のあるベテランのアマラウと、昨年は京都サンガで活躍したアンドレイ・ジロットのペアがファーストチョイスで、トップ下の定位置をテクニシャンのアレハンドロ・マルティヌッシオと運動量が豊富なナジソンが争う。
右ウイングはスピードとテクニックを兼備するロッシ、CFは決定力に秀でるウェリントン・パウリスタか、長身で空中戦に抜群の強さを発揮するトゥーリオ・デ・メロで、左ウイングは精度の高いクロスが持ち味のニウチーニョという布陣だった。
ヴァグネル・マンシーニ監督は、中盤で激しいプレッシャーをかけてボールを奪い、手数をかけず素早く縦に攻めるスタイルを志向する。
しかし、1月頃のチームは連係が不十分で、守備はカバーリングのミスが多く、攻撃は最後の崩しの場面でなかなか呼吸が合わなかった。それもそうだろう。チームの主力がほぼ入れ替わっているのだから。
「奇跡のクラブ」が挑んでいるのは、事故で露と消えたクラブとチームを同時に再建するという、世界サッカー史上でも前例のない極めて困難なタスクなのである。
(第3回につづく)
取材・文:沢田啓明
※ワールドサッカーダイジェスト2017.03.16号より加筆・修正
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【著者プロフィール】
さわだ ひろあき/1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。