俺の中での最強は違う。地味やけど、ファビーニョ。

2008年のクラブW杯ではマンチェスター・Uと対戦。敗れたとはいえ、ガンバは真っ向勝負を挑んで3ゴールを奪い、観衆を熱狂させた(写真左はウェイン・ルーニー)。(C)SOCCER DIGEST
では、ヤットが考える「ガンバ最強助っ人」は誰なのか。
在籍期間に苦楽をともにした外国籍選手は数知れない。鮮烈な記憶として残っているのはやはり、遠藤自身のラストパスに呼応してゴールラッシュを決め込んだ一線級のストライカーたちだ。
アラウージョ、マグノ・アウベス、パトリックのいずれかが有力候補で、タイトル奪取の貢献度で推し量るなら、ルーカスかシジクレイも妥当な線。常人離れした思考回路を持つ遠藤だけに、大穴として技巧派のマルセリーニョ・カリオカあたりまでを想定していたが、どれもこれも不正解だった。
「たしかに普通に考えれば、アラウージョかマグノになるんかな。あの決定力は尋常じゃなかったし、チームを勝利に導いたってところではあのふたりのどっちかやと思うよ。でも、俺の中での最強は違う。地味やけど、ファビーニョ」
一瞬、頭の中が「???」となったが、遠藤の「ほら、小柄で10番着けてたブラジル人」という一言で思い出した。
西野政権の1年目に、1シーズンだけ在籍したボランチだ。ちなみにその翌年から二川孝広が彼の後を継いでガンバの10番を背負うわけだが、またなんでファビーニョがナンバーワンなのだろうか。
「あんましみんな覚えてないかもしれんけど、俺的にはファビーニョ。まさにね、ザ・ブラジル人ボランチ。ボールをガンガン狩れるし、とにかく無駄がなくて、ミスが少ないうえに、シンプルなことしかしない。で、ボールを奪ったら速攻でボールをくれる。プレーが分かりやすくて正確だから、一緒にダブルボランチを組んでてすごくやりやすかった。このタイミングで渡すの? とか、まったくなかったからね」
2001年シーズン、京都から移籍してきた遠藤の相棒は、稲本潤一だった。強力デュオを形成して立ちどころにチームの屋台骨となったが、イナは半年でアーセナルへと旅立ち、シーズン後半はベストパートナー不在のまま、悪戦苦闘を余儀なくされた。
やがて西野体制となり、入団してきたのが守備職人のファビーニョだ。完全な汗かき役として振る舞い、遠藤の攻撃性能を最大限に引き出した。
ガンバがいよいよヤットのチームになる、その礎を築いたのが2002年シーズン。本人は口にしなかったものの、言うなればファビーニョは“恩人”なのである。
「俺が守ってやるから好きにしろって感じやったね。思い切り自由にプレーさせてもらった。かなり意外でしょうけど、俺にとってはファビーニョが一番。まるで10番っぽくなかったけどね」
わずか1シーズンの在籍ながら、2005年シーズンに記録にも記憶にも残る大車輪の活躍を見せたアラウージョのように、遠藤にとってファビーニョは、万博に1年だけ舞い降りた天使だったのかもしれない。
在籍期間に苦楽をともにした外国籍選手は数知れない。鮮烈な記憶として残っているのはやはり、遠藤自身のラストパスに呼応してゴールラッシュを決め込んだ一線級のストライカーたちだ。
アラウージョ、マグノ・アウベス、パトリックのいずれかが有力候補で、タイトル奪取の貢献度で推し量るなら、ルーカスかシジクレイも妥当な線。常人離れした思考回路を持つ遠藤だけに、大穴として技巧派のマルセリーニョ・カリオカあたりまでを想定していたが、どれもこれも不正解だった。
「たしかに普通に考えれば、アラウージョかマグノになるんかな。あの決定力は尋常じゃなかったし、チームを勝利に導いたってところではあのふたりのどっちかやと思うよ。でも、俺の中での最強は違う。地味やけど、ファビーニョ」
一瞬、頭の中が「???」となったが、遠藤の「ほら、小柄で10番着けてたブラジル人」という一言で思い出した。
西野政権の1年目に、1シーズンだけ在籍したボランチだ。ちなみにその翌年から二川孝広が彼の後を継いでガンバの10番を背負うわけだが、またなんでファビーニョがナンバーワンなのだろうか。
「あんましみんな覚えてないかもしれんけど、俺的にはファビーニョ。まさにね、ザ・ブラジル人ボランチ。ボールをガンガン狩れるし、とにかく無駄がなくて、ミスが少ないうえに、シンプルなことしかしない。で、ボールを奪ったら速攻でボールをくれる。プレーが分かりやすくて正確だから、一緒にダブルボランチを組んでてすごくやりやすかった。このタイミングで渡すの? とか、まったくなかったからね」
2001年シーズン、京都から移籍してきた遠藤の相棒は、稲本潤一だった。強力デュオを形成して立ちどころにチームの屋台骨となったが、イナは半年でアーセナルへと旅立ち、シーズン後半はベストパートナー不在のまま、悪戦苦闘を余儀なくされた。
やがて西野体制となり、入団してきたのが守備職人のファビーニョだ。完全な汗かき役として振る舞い、遠藤の攻撃性能を最大限に引き出した。
ガンバがいよいよヤットのチームになる、その礎を築いたのが2002年シーズン。本人は口にしなかったものの、言うなればファビーニョは“恩人”なのである。
「俺が守ってやるから好きにしろって感じやったね。思い切り自由にプレーさせてもらった。かなり意外でしょうけど、俺にとってはファビーニョが一番。まるで10番っぽくなかったけどね」
わずか1シーズンの在籍ながら、2005年シーズンに記録にも記憶にも残る大車輪の活躍を見せたアラウージョのように、遠藤にとってファビーニョは、万博に1年だけ舞い降りた天使だったのかもしれない。