中村の背中を押した偉大な先輩とは。
もっともっと成長したい。膨らんでいく想いを、もう自分では止めることができなかった。とはいえ、レイソルから高体連のチームへの転入を決断するには、まだ勇気がなかった。それを後押ししたのは、ひとりの偉大な先輩の存在があった。
湘南ベルマーレのMF、神谷優太だ。
彼は東京Vジュニアユースからユースに昇格するも、高2の冬に青森山田へ転入した。当時、神谷は決断に至った経緯をこう話してくれた。
「自分がもっと精神的にも、人間的にも成長するためには、環境を変えなきゃいけないとずっと思っていた。柴崎岳選手に憧れていて、ユースに上がるときも『青森山田に行きたい』と伝えた。その時は叶わなくてユースに進んだけど、どうしてもその想いが消えないどころか、日に日に強くなっていった。そうこうしているうちに、もう高2の終わりになっていて、もう決断しないと一生後悔すると思った」
そう、中村駿太が発した言葉とほぼ同じだ。神谷はずっと青森山田に憧れを抱き、高2の秋のプレミアリーグEASTで青森山田と対戦をした際に、自身の憧れの気持ちを再認識した。すぐに神谷は行動に移し、クラブに転校希望の意思を伝えたのだ。
神谷は高校最後の1年間を青森山田で過ごし、インターハイ、プレミアリーグEAST、選手権のすべてに出場。プレミアで2位、選手権ではベスト4の原動力となった。そして、複数のJクラブからのオファーを受け、湘南に入団。1年目から出番を掴んでみせた。
その神谷と中村は昨年、U-19日本代表でチームメイトとなった。韓国遠征、国内合宿、そしてバーレーンでのU-19アジア選手権をともに戦う中で、あるとき、神谷が発した言葉が中村の心に突き刺さった。
「最後の1年間、あの決断を下して本当に良かった。青森山田に行って、Jユースよりもはるかに厳しい環境でサッカーに打ち込んで、それを仲間や監督、スタッフが支えてくれて……。本当に人間的に大きく成長したし、精神的にも肉体的にもすごく逞しくなった。青森山田に行って、本当に良かったと思っている」
この言葉に、中村の身体は震えた。そして心の奥底で抑え込んでいた想いが、一気に溢れ出していったのだ。そこからは、決断をすべきか、すべきでないか、苦悩の日々を過ごしたが、ついに決断を下す。新たな挑戦の場を、神谷と同じ青森山田に決めたのだった。
湘南ベルマーレのMF、神谷優太だ。
彼は東京Vジュニアユースからユースに昇格するも、高2の冬に青森山田へ転入した。当時、神谷は決断に至った経緯をこう話してくれた。
「自分がもっと精神的にも、人間的にも成長するためには、環境を変えなきゃいけないとずっと思っていた。柴崎岳選手に憧れていて、ユースに上がるときも『青森山田に行きたい』と伝えた。その時は叶わなくてユースに進んだけど、どうしてもその想いが消えないどころか、日に日に強くなっていった。そうこうしているうちに、もう高2の終わりになっていて、もう決断しないと一生後悔すると思った」
そう、中村駿太が発した言葉とほぼ同じだ。神谷はずっと青森山田に憧れを抱き、高2の秋のプレミアリーグEASTで青森山田と対戦をした際に、自身の憧れの気持ちを再認識した。すぐに神谷は行動に移し、クラブに転校希望の意思を伝えたのだ。
神谷は高校最後の1年間を青森山田で過ごし、インターハイ、プレミアリーグEAST、選手権のすべてに出場。プレミアで2位、選手権ではベスト4の原動力となった。そして、複数のJクラブからのオファーを受け、湘南に入団。1年目から出番を掴んでみせた。
その神谷と中村は昨年、U-19日本代表でチームメイトとなった。韓国遠征、国内合宿、そしてバーレーンでのU-19アジア選手権をともに戦う中で、あるとき、神谷が発した言葉が中村の心に突き刺さった。
「最後の1年間、あの決断を下して本当に良かった。青森山田に行って、Jユースよりもはるかに厳しい環境でサッカーに打ち込んで、それを仲間や監督、スタッフが支えてくれて……。本当に人間的に大きく成長したし、精神的にも肉体的にもすごく逞しくなった。青森山田に行って、本当に良かったと思っている」
この言葉に、中村の身体は震えた。そして心の奥底で抑え込んでいた想いが、一気に溢れ出していったのだ。そこからは、決断をすべきか、すべきでないか、苦悩の日々を過ごしたが、ついに決断を下す。新たな挑戦の場を、神谷と同じ青森山田に決めたのだった。