とはいえ、スタートからしばらくは苦い思いを味わう日々が続いた。A代表デビューは93年8月22日のスウェーデン戦(1-1)。これは94年アメリカ・ワールドカップ予選だったが、この後、フランスはフィンランドには勝つも、イスラエルにはホームで不覚を取る。
そして11月のブルガリアとの最終戦、引き分けでも本大会が出場するところだったが、前半に先制したもののすぐに追い付かれ、アディショナルタイムに入る頃、相手の逆転ゴールを許す……。悪夢の結末に、文字通り頭を抱えるデサイーの姿が、映像によって全世界に流された。
ただ、彼自身はこの時点ですでに、不動の存在となっており、その後、監督が誰に代わろうとも、「レ・ブルー(フランス代表の愛称)」の最終ラインには常にデサイーの姿があった。
準決勝まで進んだEURO96では5試合全てに出場。そして2年後、母国で開催されたW杯でも全試合でピッチに立ち、世界の猛者たちを封じ込めた。
ブラジルとの決勝戦では68分に2度目の警告を受けて退場となるも、主導権を握り続けたフランスはすでに2点をリード。大勢に影響はなく、デサイーは余裕を持って、仲間たちの世界一決定の瞬間を見届け、歓喜の輪に飛び込んだのだった。
その2年後、史上初の共同開催(ベルギー&オランダ)となったEUROでも、31歳のデサイーはレギュラーとして出場。当初はスピードの衰えが指摘されたものの、強靭な肉体を活かした鉄壁の守りで相手の攻撃選手を苦しめ、欧州制覇に大貢献を果たした。
フランスW杯、EURO2000でも、デシャンが欠場した際にはキャプテンを務めたデサイーだが、盟友が引退した後は正式にキャプテンに就任。プレーだけでなく、精神面でもチームをリードする存在となった。
その後、02年日韓W杯(グループステージ敗退)、EURO2004(準々決勝敗退)に出場したデサイーは、116試合3得点という最多出場記録(後にリリアン・テュラムが更新)を残して、04年に代表のユニホームを脱いだ。
前述した通り、クラブレベルでは04年に中東に渡り、1年目でカタールリーグを制し、さらに1シーズンをこの国で過ごして帰国したデサイーは、06年5月に選手としてのキャリアに終止符を打った。
引退後は、英国BBCなどで解説者を務めた他、07年からはミランでスカウト業務に従事。また、チャリティー活動にも精を出し、ユニセフ大使として自身のルーツであるガーナで教育や福祉の環境整備に取り組んでいる。
強く、巧く、そして賢かった選手時代のデサイー。今もなお、違うフィールドでその情熱とインテリジェンスを活かし続けている。
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