僕の来日40周年のパーティーには、車椅子に乗って来てくれた。
周りの人間に裏切られたりしたこともあっただろうけど、彼は紳士だから、不平や文句を言わなかった。辛いことにめげないで、故郷の千葉に帰って「出直すんだ」と。
僕も千葉に行ったり、いくつかのイベントで一緒になったり、食事したりと、ずっと懇意にしてきた。彼が入院することもあって、お見舞いに行けば、すごく喜んでくれてね。僕の来日40周年のパーティーには、車椅子に乗って来てくれたよ。
少し古い話になるけど、木之本さんがJリーグにいた時に、僕はあいかわらず“辛口”だった。それだけに、当時は僕も木之本さんからあまり良い印象を持たれていなかったようだけど、よく知るテレビ局のプロデューサーが間を取り持ってくれて、一度、食事をすることになったんだ。
そこでゆっくりと話をしたら、「本当にサッカーを考えている男じゃないか」と褒めてもらったんだ。僕の記事をよく読んでくれていたみたいで、その内容によっても、電話がかかってきたりもしたね。
柔軟に物事を考えることができて、見本にすべきところがたくさんあった。もっとも、病気との闘いやサッカーのために惜しみなく頑張る姿を見るにつけ、僕には到底真似できないと痛感した。
身体は相当しんどかったと思うけど、頭の中はいつだってクリアで、たくさんの面白いアイデアを口にしていた。協会やJリーグの中にいる人たちよりも、よっぽどサッカーのことを考えているように感じたよ。
僕も千葉に行ったり、いくつかのイベントで一緒になったり、食事したりと、ずっと懇意にしてきた。彼が入院することもあって、お見舞いに行けば、すごく喜んでくれてね。僕の来日40周年のパーティーには、車椅子に乗って来てくれたよ。
少し古い話になるけど、木之本さんがJリーグにいた時に、僕はあいかわらず“辛口”だった。それだけに、当時は僕も木之本さんからあまり良い印象を持たれていなかったようだけど、よく知るテレビ局のプロデューサーが間を取り持ってくれて、一度、食事をすることになったんだ。
そこでゆっくりと話をしたら、「本当にサッカーを考えている男じゃないか」と褒めてもらったんだ。僕の記事をよく読んでくれていたみたいで、その内容によっても、電話がかかってきたりもしたね。
柔軟に物事を考えることができて、見本にすべきところがたくさんあった。もっとも、病気との闘いやサッカーのために惜しみなく頑張る姿を見るにつけ、僕には到底真似できないと痛感した。
身体は相当しんどかったと思うけど、頭の中はいつだってクリアで、たくさんの面白いアイデアを口にしていた。協会やJリーグの中にいる人たちよりも、よっぽどサッカーのことを考えているように感じたよ。