【セルジオ越後】木之本興三さんとの思い出――日本代表が負ければ、「どうなっているんだ!」と必ず電話がかかってきたよ

カテゴリ:連載・コラム

サッカーダイジェスト編集部

2017年01月20日

日本サッカーの成長を支えた、‶影の主役″と呼んでもいいだろう。

Jの歴史の中で、木之本さんは僕にとってナンバーワンの功労者だ(写真は02年日韓W杯のメンバー発表時)(C)Getty Images

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 1月15日、元Jリーグ専務理事の木之本興三さんが、うっ血性心不全でお亡くなりになられた。まだ68歳だった。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみを申し上げたい。
 
 一言で言えば、サッカーのために自分の人生を捧げた男だった。
 
 72年に古河電工(現・千葉)に入団し、活躍していたが、腎臓の病気のため現役を退いた。その後は、日本サッカーリーグの事務局に入り、Jリーグの発足に尽力した。
 
 人工透析の治療を受けながら仕事を続け、Jリーグの常務理事や専務理事、日本協会の強化推進本部副本部長といった要職を歴任したけど、03年に健康上の理由で第一線を離れた。あまり表舞台には立たなかったけど、日本サッカーの成長を支えた、‶影の主役″と呼んでもいいだろう。
 
 Jリーグを立ち上げようとした時には、反対意見もあったという。それでも、彼には確固たる理念があった。ブレない信念があった。

  当時はまだ、日本はワールドカップに一度も出場したことがない。ライバルの韓国は、すでに世界の舞台で戦っている。日本代表を強くするためには、アマチュアのままではなく、国内リーグのプロ化が必要だと、その想いで力の限りを尽くした。
 
 20代で難病を抱えてからは、大変な毎日だったと思う。それでも、彼に会うたびに思ったのは、サッカーが刺激になっていたということ。日本代表が負けたり、内容が悪かったりすると、必ず僕のところに電話がかかってきて、「どうなっているんだ!」と。
 
 ピッチの中だけでなく、サッカー界を取り巻く様々な事柄を気にしていたし、とにかく頭からサッカーが離れない。そんなキャラクターが、ここまで長生きできた理由なんじゃないかな。底なしのサッカー愛が、病気と闘うエネルギーになった。
 
 おそらくは、今際の際までサッカーのことを考えていたはずだよ。

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