理論派にとって勝負運のなさを嘆くことは自己の否定に繋がる。
1992-93シーズン、フローロのマドリーはハイレベルな戦いを続け、終盤は連戦連勝を重ねた。ヨハン・クライフ率いるバルセロナとのデッドヒートは語り草である。しかしリーガ・エスパニョーラ最終節、「勝てば優勝」だったフローロ・マドリーは敗れ、栄光を逃した。
「それもフットボールだ」
フローロは、こともなげに言った。勝負運が足りない、と嘆くことはなかった。それは、自らの仕事を全否定することになるからだろう。
論理を重ねるなかで、マドリーの戦いが燦然と輝いていたのは事実だ。やがて「ドリームチーム」と呼ばれるクライフ・バルサと、真っ向から戦っている。たら、れば、に意味はないが、最終節に勝利することができていたら、フローロは英雄になっていただろう。
「フローロのおかげで、フットボーラーとして成長できた」
実に多くの選手たちが告白している。ベテランは復活を遂げ、フェルナンド・イエロ、ルイス・エンリケら若手たちは殻を破った。プレーの論理性が、選手たちに確信を与えたのだ。
果たして、監督として必要なのは勝負運なのか?
ちなみにフローロはこのシーズン、コパ・デル・レイ優勝を遂げたものの、翌シーズンは成績不振により、途中で降板させられている。
文:小宮 良之
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、2016年2月にはヘスス・スアレス氏との共著『「戦術」への挑戦状 フットボールなで斬り論』(東邦出版)を上梓した。
「それもフットボールだ」
フローロは、こともなげに言った。勝負運が足りない、と嘆くことはなかった。それは、自らの仕事を全否定することになるからだろう。
論理を重ねるなかで、マドリーの戦いが燦然と輝いていたのは事実だ。やがて「ドリームチーム」と呼ばれるクライフ・バルサと、真っ向から戦っている。たら、れば、に意味はないが、最終節に勝利することができていたら、フローロは英雄になっていただろう。
「フローロのおかげで、フットボーラーとして成長できた」
実に多くの選手たちが告白している。ベテランは復活を遂げ、フェルナンド・イエロ、ルイス・エンリケら若手たちは殻を破った。プレーの論理性が、選手たちに確信を与えたのだ。
果たして、監督として必要なのは勝負運なのか?
ちなみにフローロはこのシーズン、コパ・デル・レイ優勝を遂げたものの、翌シーズンは成績不振により、途中で降板させられている。
文:小宮 良之
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、2016年2月にはヘスス・スアレス氏との共著『「戦術」への挑戦状 フットボールなで斬り論』(東邦出版)を上梓した。