実務的な仕事をこなせる監督は現在の日本サッカーにもいるが。
ジョゼップ・グアルディオラ(マンチェスター・シティ)が監督を志した時、真っ先に赴いた先が、セサール・ルイス・メノッティ、ファンマ・リージョ、そしてビエルサの元だった。
この3人は、“理想ロマン主義”と言える指導者かもしれない。無理だ、不可能だ、というモデルに挑む。
「90分間、ボールを持って攻め続けるというのが、ビエルサの究極的な理想だった」
グアルディオラはそう語っているが、彼はその実現が難しいと悟りながら、選手時代にヨハン・クライフから受けた薫陶から類い希なる直感力を働かせ、明敏な革命家のようなフットボールを確立した。
「思想家がなし得なかった境地に、革命家として辿り着いた」のが、グアルディオラなのだろう。
ボールゲームを追求するなか、セルジ・ブスケッツのような選手を覚醒させつつ、敵陣で奪い返すショートカウンターを確立することで、弱点だった守備の綻びを隠し、攻撃力を高めた。
それは、実務家の現実的すぎるやり方とも違う。革命家は、世界サッカー史に名を残すようなスペクタクルを示し、それをバルサだけでなく、バイエルン・ミュンヘン、マンチェスター・Cでも体現しつつある。
誰もなし得なかったプレーモデルだ。
翻って日本サッカーには、思想家、革命家、実務家と言える名将は出てくるのか。実務的な仕事をこなせる監督はいないことはない。それは、論理を身につけ、実戦をこなすことで磨かれる。しかし、思想や革命はまだ存在しない。
唯一、その気配を見せるのは、川崎フロンターレの風間八宏監督だが、時代を切り拓くには、輝かしいタイトルが必要になる。
文:小宮 良之
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、2016年2月にはヘスス・スアレス氏との共著『「戦術」への挑戦状 フットボールなで斬り論』(東邦出版)を上梓した。
この3人は、“理想ロマン主義”と言える指導者かもしれない。無理だ、不可能だ、というモデルに挑む。
「90分間、ボールを持って攻め続けるというのが、ビエルサの究極的な理想だった」
グアルディオラはそう語っているが、彼はその実現が難しいと悟りながら、選手時代にヨハン・クライフから受けた薫陶から類い希なる直感力を働かせ、明敏な革命家のようなフットボールを確立した。
「思想家がなし得なかった境地に、革命家として辿り着いた」のが、グアルディオラなのだろう。
ボールゲームを追求するなか、セルジ・ブスケッツのような選手を覚醒させつつ、敵陣で奪い返すショートカウンターを確立することで、弱点だった守備の綻びを隠し、攻撃力を高めた。
それは、実務家の現実的すぎるやり方とも違う。革命家は、世界サッカー史に名を残すようなスペクタクルを示し、それをバルサだけでなく、バイエルン・ミュンヘン、マンチェスター・Cでも体現しつつある。
誰もなし得なかったプレーモデルだ。
翻って日本サッカーには、思想家、革命家、実務家と言える名将は出てくるのか。実務的な仕事をこなせる監督はいないことはない。それは、論理を身につけ、実戦をこなすことで磨かれる。しかし、思想や革命はまだ存在しない。
唯一、その気配を見せるのは、川崎フロンターレの風間八宏監督だが、時代を切り拓くには、輝かしいタイトルが必要になる。
文:小宮 良之
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、2016年2月にはヘスス・スアレス氏との共著『「戦術」への挑戦状 フットボールなで斬り論』(東邦出版)を上梓した。