66年から77年までの代表キャリアにおいて、彼が出場したメジャー大会は74年西ドイツ・ワールドカップと、その2年後の欧州選手権である。成績は前者が準優勝、そして後者では3位入賞を果たした。
74年のオランダは、サッカーの歴史と概念を変えた。全員攻撃・全員守備の「トータルフットボール」において、クライフは変幻自在・神出鬼没のプレーで対戦相手を翻弄。2次リーグ・ブラジル戦のジャンピングボレーなど、数々の見せ場を作った。
西ドイツとの決勝戦では相手の徹底マークに封じられて逆転負けを喫するも、試合開始直後に最後尾からスピーディーなドリブルで先制PKを奪うなど、ここでも強い印象を与えた。
後に「優勝した西ドイツよりも我々の方が、人々の記憶には残っている」と語ったように、クライフはプレー内容を重要視し、ただ勝つだけのプレーを毛嫌いするアーティストだった。そしてその姿勢は、指導者に転じてから、より彼のなかで強くなっていくのである。
所属チームだけでなく、自身も3度のバロンドール(71、73、74年)を受賞するなど、多くのタイトルを手にして引退したクライフは、85年にユニホームからスーツに着替え、古巣アヤックスをベンチからコントロールすることとなった。
アヤックスでは2度の国内カップの他、86-87シーズンには愛弟子マルコ・ファン・バステンの決勝ゴールで欧州タイトル(カップウィナーズ・カップ)も獲得したクライフの次なる行き先は、低迷していた思い出のクラブ、バルサだった。
88年、選手のクーデター騒動に揺れ動いていたバルサに、英雄が帰還。サポーターは狂喜乱舞した。そしてクライフは彼らの期待に応え、チームを着実に強化していった。
彼はスペクタクルを愛するとともに、合理性・効率性を重視する人間でもあり、それが新たなチームのスタイルを生み出していった。3-4-3というフォーメーションも、2トップの相手に4人のDFは必要ない、という彼らしい考えによるものだった。
クライフの希望をクラブが叶え、年々、多くの名手が到来したバルサは、88-89シーズンのカップウィナーズ・カップを手始めに、90-91シーズンからはリーグ4連覇を達成。しかも3年連続の、最終節での逆転優勝という極上のドラマ付きだった。
そして91-92シーズンには、ウェンブリーでのチャンピオンズ・カップ決勝でサンプドリアを延長の末に下し、クライフは監督としても欧州の頂点に立った。
96年に退任してからは、カタルーニャ選抜の監督やメキシコ・グアダラハラのアドバイザー、アヤックスのテクニカルアドバイザーを歴任しながら、バルサのご意見番であり続けた。
彼が監督時代に蒔いた種は、自身が監督時代に見出したジョゼップ・グアルディオラによって2000年代後半より美しく開花し、以降、クライフの植え付けた哲学を遵守しながらバルサの黄金時代は続いている。
かつてはヘビースモーカーであり、91年には心筋梗塞で死線をさまよったこともあったクライフ。以降は禁煙し、健康に留意し続けてきたが、2015年に肺がんが発覚。その後も治療を続けながらも、精力的に活躍を続けてきたが、2016年3月24日、悲報が世界に流れた。
ヨハン・クライフ、享年68。彼は逝ってしまったが、魔法のようなプレー、慧眼による的確かつ革新的なチーム作り、そして揺るぎない信念と哲学から生まれた数々の名言……人々の記憶と心のなかで英雄は今も生き続けており、今後も永遠に語り継がれていく。
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