咄嗟に物陰に身を隠した。荷物番だったあの日の記憶

品田③が自身の真価に目覚め、自信を取り戻したのはアメリカに渡ってから。大学3年時は全米選手権でアシスト王に輝き、4年時は最優秀オフェンシブプレーヤー賞を受賞した。(C)Lindsey Wilson College
もっと早く品田がサッカーを辞めていたとすれば、高校時代のどこかでだったのかもしれない。一言でまとめる無礼が許されるなら、「不遇な部活動」に終始したからだ。
「ああ、場所が合わなかったんだ」
そう振り返ることができたのは、品田がアメリカの大学に進んでからだ。高校時代は、どれだけ真面目に一生懸命取り組んでも、ベンチかスタンドが定位置だった。アメリカの大学で、今日は15分しか出場できなかったと不満を漏らすチームメイトに、品田は内心でまだマシだと思っていた。高校時代の自分は、15分プレーできれば、喜んでいたのだから。
「楽しかったことは断片的に覚えていたりもするんですけど、過去の記憶は消していくタイプで、高校時代は学校生活を含めて、ほとんど記憶にないんです」
そう語る品田にも、忘れられない出来事はある。U-18年代の全国大会で宮崎に遠征した、高校1年生の冬の記憶だ。
品田の役目は荷物番だった。衆目に晒されながら大声で歌う、スタンドでの応援に回るよりは気が楽だった。「ピッチ上の選手と一緒に戦うんだ」と鼓舞されても、ベンチ外という結果を踏まえれば、心情的に無理がある。
忘れられないのは、スタジアムの外で荷物番をしていたとき、中学時代に所属していた名門クラブの元チームメイトたちとすれ違う、その前後の記憶だ。すれ違う直前、品田が物陰に身を隠したのは、咄嗟に合わせる顔がないと思ったからだ。その名門クラブの出身者は、高校の3年間レギュラーを張り、エースとして活躍するのが当たり前だと見なされていた。品田が進学した高校のサッカー部は創部からまだ間もない新興で、当時は弱小の部類に含まれていた。
中学3年の夏まで所属した名門クラブでも、品田は出場機会に恵まれないままだった。入団したての当初から感じていたのは精神面での大きな違いだ。品田が男の子たちに混じってプレーしていた小学生時代のチームは、サッカーの楽しさだけを追求し、ボールは試合形式で蹴るものだった。一方、中学時代のチームメイトたちは、はるかにシビアな世界に生きていた。品田は引け目を感じ、気後れしているのがプレーに出てしまうという悪循環にも陥った。
当時のつらさや悲しさが凝縮されている荷物番のシーンを品田がいまでも覚えているのは、逃げ隠れするのはやっぱりやめたと物陰から戻ったからだろう。
「あれ、何してるの? 怪我?」
同期の元チームメイトに話しかけられて、品田はありのままを打ち明ける。
「え、なんで?」
問われているのはベンチ外になっている理由だとわかったが、言い訳はしなかった。
「ああ、場所が合わなかったんだ」
そう振り返ることができたのは、品田がアメリカの大学に進んでからだ。高校時代は、どれだけ真面目に一生懸命取り組んでも、ベンチかスタンドが定位置だった。アメリカの大学で、今日は15分しか出場できなかったと不満を漏らすチームメイトに、品田は内心でまだマシだと思っていた。高校時代の自分は、15分プレーできれば、喜んでいたのだから。
「楽しかったことは断片的に覚えていたりもするんですけど、過去の記憶は消していくタイプで、高校時代は学校生活を含めて、ほとんど記憶にないんです」
そう語る品田にも、忘れられない出来事はある。U-18年代の全国大会で宮崎に遠征した、高校1年生の冬の記憶だ。
品田の役目は荷物番だった。衆目に晒されながら大声で歌う、スタンドでの応援に回るよりは気が楽だった。「ピッチ上の選手と一緒に戦うんだ」と鼓舞されても、ベンチ外という結果を踏まえれば、心情的に無理がある。
忘れられないのは、スタジアムの外で荷物番をしていたとき、中学時代に所属していた名門クラブの元チームメイトたちとすれ違う、その前後の記憶だ。すれ違う直前、品田が物陰に身を隠したのは、咄嗟に合わせる顔がないと思ったからだ。その名門クラブの出身者は、高校の3年間レギュラーを張り、エースとして活躍するのが当たり前だと見なされていた。品田が進学した高校のサッカー部は創部からまだ間もない新興で、当時は弱小の部類に含まれていた。
中学3年の夏まで所属した名門クラブでも、品田は出場機会に恵まれないままだった。入団したての当初から感じていたのは精神面での大きな違いだ。品田が男の子たちに混じってプレーしていた小学生時代のチームは、サッカーの楽しさだけを追求し、ボールは試合形式で蹴るものだった。一方、中学時代のチームメイトたちは、はるかにシビアな世界に生きていた。品田は引け目を感じ、気後れしているのがプレーに出てしまうという悪循環にも陥った。
当時のつらさや悲しさが凝縮されている荷物番のシーンを品田がいまでも覚えているのは、逃げ隠れするのはやっぱりやめたと物陰から戻ったからだろう。
「あれ、何してるの? 怪我?」
同期の元チームメイトに話しかけられて、品田はありのままを打ち明ける。
「え、なんで?」
問われているのはベンチ外になっている理由だとわかったが、言い訳はしなかった。
高校2年生になってからも品田の不遇は続く。一時期試合に出場できていたのは、1つ上の学年が部活動引退でごっそり抜けたからだった。試合に出ていたその時期は、学校関係者や応援の保護者からプレーを褒められるようになる。
「いろんな方に期待していただいた時期でした。自分でも手応えのようなものを感じていましたし、少し自信がついてきたところで――」
突然、何の前触れもなく、ベンチ外に逆戻りする。高校最後の大会の少し前だった。
「なんで出ないの?」
学校関係者にそう聞かれても、「わたしにもわからないです」と、答えるしかない。監督と揉(も)めていたわけでも、問題を起こしたわけでもない。自主練を含めて、できることはすべてやってきたはずだ。
「唯一やらなかったのは、監督の顔色を窺うことだけでした」
次はフィールド上で再会するという、中学時代のチームメイトとの約束は最後まで果たせないままだった。「場所が合わなかった」と気づけたのは、アメリカという新天地を求めてからだ。
合わなかったのは「相性」とも言える。アメリカでは男子とプレーできるのが楽しみだった。同じ大学の男子サッカー部も強豪で、練習のない日にフットサルやミニゲームに混ぜてもらう機会があった。
品田が日本の女子サッカーに感じてきたのは、感覚のズレだった。たとえばもっとワイドにロングボールを出して、攻撃の幅を作り出したい、実際に出せると品田がいくらイメージしても、そのイメージをチームメイトと共有するのが難しい。生じるのは違和感だ。
「自分の良い部分の50%ぐらいが、使われていない感覚でした」
少しだけ補足すると、品田が語っているのは「良い、悪い」の話ではなく、「合う、合わない」の話だ。ちょうどいいという距離感が合わない。ここだというタイミングが合わない。距離感もタイミングも、アメリカで男子サッカー部員とプレーしていると、しっくりくる。フィットしている感覚を味わえば味わうほど、わざわざ「女子サッカー」とカテゴライズして、区切りを設けることへの違和感も強くなる。
プロになってから、日本でプレーしてみた時期もある。フィンランドからスペインへ移籍する前の移行期間にだ。しかし、やはり違和感が拭えなかった。
繰り返すが、これは良し悪しの話ではない。合う合わないの話であり、フィットする場所を見つけられた品田は幸いだったという話だ。試合が好きで、不遇でもサッカーを続けたからこそ、おそらく見つけられた幸せだった。
「いろんな方に期待していただいた時期でした。自分でも手応えのようなものを感じていましたし、少し自信がついてきたところで――」
突然、何の前触れもなく、ベンチ外に逆戻りする。高校最後の大会の少し前だった。
「なんで出ないの?」
学校関係者にそう聞かれても、「わたしにもわからないです」と、答えるしかない。監督と揉(も)めていたわけでも、問題を起こしたわけでもない。自主練を含めて、できることはすべてやってきたはずだ。
「唯一やらなかったのは、監督の顔色を窺うことだけでした」
次はフィールド上で再会するという、中学時代のチームメイトとの約束は最後まで果たせないままだった。「場所が合わなかった」と気づけたのは、アメリカという新天地を求めてからだ。
合わなかったのは「相性」とも言える。アメリカでは男子とプレーできるのが楽しみだった。同じ大学の男子サッカー部も強豪で、練習のない日にフットサルやミニゲームに混ぜてもらう機会があった。
品田が日本の女子サッカーに感じてきたのは、感覚のズレだった。たとえばもっとワイドにロングボールを出して、攻撃の幅を作り出したい、実際に出せると品田がいくらイメージしても、そのイメージをチームメイトと共有するのが難しい。生じるのは違和感だ。
「自分の良い部分の50%ぐらいが、使われていない感覚でした」
少しだけ補足すると、品田が語っているのは「良い、悪い」の話ではなく、「合う、合わない」の話だ。ちょうどいいという距離感が合わない。ここだというタイミングが合わない。距離感もタイミングも、アメリカで男子サッカー部員とプレーしていると、しっくりくる。フィットしている感覚を味わえば味わうほど、わざわざ「女子サッカー」とカテゴライズして、区切りを設けることへの違和感も強くなる。
プロになってから、日本でプレーしてみた時期もある。フィンランドからスペインへ移籍する前の移行期間にだ。しかし、やはり違和感が拭えなかった。
繰り返すが、これは良し悪しの話ではない。合う合わないの話であり、フィットする場所を見つけられた品田は幸いだったという話だ。試合が好きで、不遇でもサッカーを続けたからこそ、おそらく見つけられた幸せだった。