“あの選手”の引退も石川を奮い立たせる要因に。
石川は言う。
「いろんな偶然、いや、僕のなかでは必然ですかね。自分が怪我をしてドイツから帰国した8月4日が、実はマツくん(故・松田直樹)の命日で。
マツくんはサッカーをしたくても、もうできない。なのに、自分は復帰できる可能性があるにもかかわらず引退を決めようとしていた。なんか『そんなので、クヨクヨしてんじゃねえよ』って、マツくんに言われた気がしたんですよね。
しかも、怪我をした8月2日は自分の嫁の誕生日で、そこで引退するのもなあ……って。そういうのもあったので、ならばもう一度頑張ってみようと決心しました」
ただ、復帰への道は険しかった。
「練習に一度復帰したんですけど、怪我した箇所をかばっていたら今度は違う古傷を傷めてしまって……。なんだか合わせ技みたいな感じで、(練習から)離れたんです。でも、あそこで離れておいて良かった(笑)」
続けて「今は良い状態でできている」という石川は、ここまでの苦労を微塵も感じさせないトーンで言葉を継いでいく。
「焦っても仕方がないですからね。最終的に右肩上がりになればいい。怪我でこれだけ離れていると、良くも悪くもモチベーションの浮き沈みはなくなりますね。今考えているのは、1日1日の積み重ねが、どう結果につながっていくか。トータルで見た場合に右肩上がりになれればいいかなと。一喜一憂はしません」
石川を奮い立たせる要因のひとつが、鈴木啓太(元浦和)の引退だった。
「昨年末、まだリハビリをしている時期に啓太に『もう、厳しいわ』と言われて。マツくんも、啓太もやりたいけどやれない。彼らのそういう想いを考えると、頑張らないといけないと強く思う」
長期間欠場していても、石川はFC東京のファン・サポーターから愛されている。練習後のファン・サービスでも、たっぷり時間をかけてリクエストに応じるのが石川流だ。
「これだけ僕の復帰を待ってくれていますからね。普通ならこれだけ待ってくれません(笑)。本当に感謝ですよ。自分はサポーターとともに歩んできた自負がある。それこそ、いろんなパワーをもらっている。このところはもらってばかりいるので、そのパワーを今度は僕がピッチで示す番です」
「いろんな偶然、いや、僕のなかでは必然ですかね。自分が怪我をしてドイツから帰国した8月4日が、実はマツくん(故・松田直樹)の命日で。
マツくんはサッカーをしたくても、もうできない。なのに、自分は復帰できる可能性があるにもかかわらず引退を決めようとしていた。なんか『そんなので、クヨクヨしてんじゃねえよ』って、マツくんに言われた気がしたんですよね。
しかも、怪我をした8月2日は自分の嫁の誕生日で、そこで引退するのもなあ……って。そういうのもあったので、ならばもう一度頑張ってみようと決心しました」
ただ、復帰への道は険しかった。
「練習に一度復帰したんですけど、怪我した箇所をかばっていたら今度は違う古傷を傷めてしまって……。なんだか合わせ技みたいな感じで、(練習から)離れたんです。でも、あそこで離れておいて良かった(笑)」
続けて「今は良い状態でできている」という石川は、ここまでの苦労を微塵も感じさせないトーンで言葉を継いでいく。
「焦っても仕方がないですからね。最終的に右肩上がりになればいい。怪我でこれだけ離れていると、良くも悪くもモチベーションの浮き沈みはなくなりますね。今考えているのは、1日1日の積み重ねが、どう結果につながっていくか。トータルで見た場合に右肩上がりになれればいいかなと。一喜一憂はしません」
石川を奮い立たせる要因のひとつが、鈴木啓太(元浦和)の引退だった。
「昨年末、まだリハビリをしている時期に啓太に『もう、厳しいわ』と言われて。マツくんも、啓太もやりたいけどやれない。彼らのそういう想いを考えると、頑張らないといけないと強く思う」
長期間欠場していても、石川はFC東京のファン・サポーターから愛されている。練習後のファン・サービスでも、たっぷり時間をかけてリクエストに応じるのが石川流だ。
「これだけ僕の復帰を待ってくれていますからね。普通ならこれだけ待ってくれません(笑)。本当に感謝ですよ。自分はサポーターとともに歩んできた自負がある。それこそ、いろんなパワーをもらっている。このところはもらってばかりいるので、そのパワーを今度は僕がピッチで示す番です」