GKとしては史上二番目となる4000万ユーロの移籍金でマンCへ
しかし、どうしてもプロになる夢を諦めきれなかったエデルソンは、悶々とした数日を過ごした末にひとつの決断を下す。かつて在籍した市営のチームに戻り、練習をスタートしたのだ。思わぬ形で再会することとなった監督のジッバは、
「鬼気迫る表情でセービング、キャッチング、フィードなどの技術練習を繰り返し、厳しいフィジカルトレーニングにも黙々と取り組んでいた。本当にサッカーが大好きで、何が何でもプロになるという、そんな覚悟を感じたよ」
と当時の様子を振り返る。
思いもよらぬ幸運が舞い込むのは、退団を言い渡されてから1か月も経たない12月末。きっかけは、ポルトガルの名門ベンフィカの関係者からサンパウロのアカデミーに届いた要望だ。
「U-17世代のゴールキーパーを探している。誰か目ぼしい選手を紹介してほしい」
実は、エデルソンを退団させる決断についてはサンパウロの内部でも議論が交わされ、なかには「現時点では力不足だが、将来有望な選手であるのは間違いない。チームに残すべきだ」という意見も少なくなかった。そうした“支持派”の後押しもあり、サンパウロは「大柄でキャッチング技術に優れ、身体能力が高く、足下のスキルも兼ね備えた16歳がいる」と返答。するとベンフィカのU-17の入団テストを受ける機会が与えられ晴れて合格。10年1月にポルトガルに渡ったのだった。
「鬼気迫る表情でセービング、キャッチング、フィードなどの技術練習を繰り返し、厳しいフィジカルトレーニングにも黙々と取り組んでいた。本当にサッカーが大好きで、何が何でもプロになるという、そんな覚悟を感じたよ」
と当時の様子を振り返る。
思いもよらぬ幸運が舞い込むのは、退団を言い渡されてから1か月も経たない12月末。きっかけは、ポルトガルの名門ベンフィカの関係者からサンパウロのアカデミーに届いた要望だ。
「U-17世代のゴールキーパーを探している。誰か目ぼしい選手を紹介してほしい」
実は、エデルソンを退団させる決断についてはサンパウロの内部でも議論が交わされ、なかには「現時点では力不足だが、将来有望な選手であるのは間違いない。チームに残すべきだ」という意見も少なくなかった。そうした“支持派”の後押しもあり、サンパウロは「大柄でキャッチング技術に優れ、身体能力が高く、足下のスキルも兼ね備えた16歳がいる」と返答。するとベンフィカのU-17の入団テストを受ける機会が与えられ晴れて合格。10年1月にポルトガルに渡ったのだった。
ポルトガルでの生活にも問題なく馴染み、U-17でレギュラーの座を掴むと、10年7月にはU-19へと昇格。だが、このカテゴリーでは控えに留まり、1シーズン限りで退団を余儀なくされる。心機一転、11年7月に渡った3部のリベイロンで29試合に出場して実戦経験を積み、1部のリオ・アベへと再びステップアップを果たすと、在籍した3シーズンで公式戦63試合に出場。その活躍を見たベンフィカが15年7月、ポルトガル国内で定評を確立しはじめていたエデルソンを買い戻すのだ。
そのベンフィカで輝くのは入団2年目の16-17シーズン。同胞の正GKジュリオ・セーザルの故障離脱で出番が回ってきたそのチャンスを見事に掴み取り、レギュラーとして躍動したエデルソンは、27試合に出場してチームのリーグ4連覇に貢献する。そして17年7月、GKとしては当時史上二番目となる4000万ユーロの高額移籍金で、ジョゼップ・グアルディオラ率いるマンチェスター・シティに迎えられたのである。
エリート街道を歩いてきたわけでは決してない。泥水もすすった。そんな中でも絶やさなかったのは、サッカーへの情熱と向上心。ミスを恐れないハートの強さ、フィールドプレーヤーに勝るとも劣らないボールスキルとフィード技術は、苦労と練習を重ねてきたエデルソンのまさに財産だ。
文●沢田啓明
【著者プロフィール】
1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。
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そのベンフィカで輝くのは入団2年目の16-17シーズン。同胞の正GKジュリオ・セーザルの故障離脱で出番が回ってきたそのチャンスを見事に掴み取り、レギュラーとして躍動したエデルソンは、27試合に出場してチームのリーグ4連覇に貢献する。そして17年7月、GKとしては当時史上二番目となる4000万ユーロの高額移籍金で、ジョゼップ・グアルディオラ率いるマンチェスター・シティに迎えられたのである。
エリート街道を歩いてきたわけでは決してない。泥水もすすった。そんな中でも絶やさなかったのは、サッカーへの情熱と向上心。ミスを恐れないハートの強さ、フィールドプレーヤーに勝るとも劣らないボールスキルとフィード技術は、苦労と練習を重ねてきたエデルソンのまさに財産だ。
文●沢田啓明
【著者プロフィール】
1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。
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