49歳で現役。感謝の気持ちを込めてプレーする
Jリーグ発足当初の日本サッカー界は欧州と大きなレベルの差があり、海外移籍を考える選手はほんの一握りだった。アトランタ世代でも世界へ出て行ったのは中田英寿くらい。彼の場合は93年U-17W杯、95年U-20W杯、96年アトランタ五輪、98年W杯と世界舞台を総なめにし、強烈なインパクトを残したうえ、世界に対する意識の高さも際立っていた。伊東自身、中田は別格だったと感じているようだ。
「ヒデは早いうちから海外に目が向いていた。そういうのが僕自身はなかったよね。でも今はJ3の選手でも『海外へ行きたい』と考えてる。それに日本人の評価も高くなってるから、実際に行けるチャンスも広がりましたよね。
自分はJリーグが発足した93年からプロサッカー選手をやっているけど、ホントに長いことやってきたんだなと思う。いろんな変化も見られたし。こんなやつ、もう現われないだろうね。幸せだなとしみじみ思います」
日本サッカーの劇的な進化をピッチ上で感じ続けてきた伊東。その経験値は非常に大きいし、それをアスルクラロ沼津のみならず、サッカー界全体に還元していくことが、彼の使命なのかもしれない。
「ヒデは早いうちから海外に目が向いていた。そういうのが僕自身はなかったよね。でも今はJ3の選手でも『海外へ行きたい』と考えてる。それに日本人の評価も高くなってるから、実際に行けるチャンスも広がりましたよね。
自分はJリーグが発足した93年からプロサッカー選手をやっているけど、ホントに長いことやってきたんだなと思う。いろんな変化も見られたし。こんなやつ、もう現われないだろうね。幸せだなとしみじみ思います」
日本サッカーの劇的な進化をピッチ上で感じ続けてきた伊東。その経験値は非常に大きいし、それをアスルクラロ沼津のみならず、サッカー界全体に還元していくことが、彼の使命なのかもしれない。
「こんな人生を送れてるのも、嫁さんと家族のおかげだよね。普通の嫁さんだったらたぶん、どっかでブチ切れてるんじゃないかな(苦笑)。沼津に来てからは給料も安くなったし、パートにも行ってくれてますからね。俺のワガママにつきあってくれて、ホントに有難いし、感謝の気持ちを込めてプレーしないといけないよね」
しみじみとこう語った伊東。日本サッカー界の生き証人は多くのモノを背負いつつ、前向きにボールを蹴り続けている。
※第2回終了(全3回)
取材・文●元川悦子(フリーライター)
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