中村と遠藤はJのピッチに立ち続けた
残るMFの5枠は、削り切れないために強引に収めたに過ぎない。名波浩、小笠原満男、中村憲剛、遠藤保仁は、いずれもチームのリーダーとしてそれぞれの黄金期を牽引し、特に中村と遠藤は一貫してJのピッチに立ち続けた。
Jリーグの開幕が、あと3~5年間早ければラモス瑠偉が間違いなく入ってきただろうし、ジョルジーニョが鹿島でボランチではなく本来の右SBとしてプレーし続けていれば、フォーメーションが変わっていた可能性もある。また本来公平性を優先すれば、トップ下はヴェルディと鹿島でチームを勝利に導き続けたビスマルクなのかもしれない。
最後に川崎時代の三笘は在籍期間こそ短かったが、あまりにインパクトが強烈だった。例えば草創期のピエール・リトバルスキーやレオナルドは、同じように自在に守備網を切り裂いていた。だが三笘は、それからレベルアップが顕著なリーグに大卒ルーキーとして登場し、最強の川崎の切り札になった。
もちろん圧倒的なポゼッションという大前提はあったが、これほど簡単にペナルティエリアに侵入し、楽々とゴールへの道筋を描き続けた選手はいない。三笘が在籍した頃の川崎には「負ける」という懸念がなく、毎試合何ゴールを奪うかが焦点となった。
Jリーグの開幕が、あと3~5年間早ければラモス瑠偉が間違いなく入ってきただろうし、ジョルジーニョが鹿島でボランチではなく本来の右SBとしてプレーし続けていれば、フォーメーションが変わっていた可能性もある。また本来公平性を優先すれば、トップ下はヴェルディと鹿島でチームを勝利に導き続けたビスマルクなのかもしれない。
最後に川崎時代の三笘は在籍期間こそ短かったが、あまりにインパクトが強烈だった。例えば草創期のピエール・リトバルスキーやレオナルドは、同じように自在に守備網を切り裂いていた。だが三笘は、それからレベルアップが顕著なリーグに大卒ルーキーとして登場し、最強の川崎の切り札になった。
もちろん圧倒的なポゼッションという大前提はあったが、これほど簡単にペナルティエリアに侵入し、楽々とゴールへの道筋を描き続けた選手はいない。三笘が在籍した頃の川崎には「負ける」という懸念がなく、毎試合何ゴールを奪うかが焦点となった。
欧州進出が近づく頃には、自陣でボールを持つだけでスタジアムが期待でざわつくようになっていた。その別格の高揚感でベスト11に選出した。
MVPはMF勢が甲乙つけ難く、歴史的な背景を考慮してカズに決めた。
Jリーグ人気はカズを象徴とするヴェルディ勢の牽引で爆発した。また今後これほど長くJリーグで活躍し続ける選手が登場してくるのは考え難く、そういう意味でカズは草創期の華やかさを知る人間が生き続ける限り、永遠のMVPであり続けるのかもしれない。
文●加部究(スポーツライター)
【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「 J歴代ベスト11」を一挙公開!
MVPはMF勢が甲乙つけ難く、歴史的な背景を考慮してカズに決めた。
Jリーグ人気はカズを象徴とするヴェルディ勢の牽引で爆発した。また今後これほど長くJリーグで活躍し続ける選手が登場してくるのは考え難く、そういう意味でカズは草創期の華やかさを知る人間が生き続ける限り、永遠のMVPであり続けるのかもしれない。
文●加部究(スポーツライター)
【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「 J歴代ベスト11」を一挙公開!