クラブの年間最多得点記録を更新すれば…。
再び1部に昇格した09-10シーズンの最多得点者は、10得点(前半戦4得点)を挙げたアリスティデ・バンセ。翌10-11シーズンは1シーズンのクラブ最多得点記録の15得点(同9得点)を叩き出した、当時わずか19歳のアンドレ・シュールレが主役だった。
シュールレはその後レバークーゼン、チェルシーを経て、現在はヴォルフスブルクに所属。育成元のマインツは移籍に伴い計1500万ユーロ(約21億円)を儲けた。このシュールレの軌跡をたどろうとしているのが、武藤である。
翌11-12シーズンの最多得点者は現在シャルケに所属しているマキシム・シュポ=モティングで、10得点(同4得点)を挙げた。12−13シーズンには、アダム・サライが13得点(同9得点)。その後、サライは移籍金800万ユーロ(約11億2000万円)でシャルケへ移籍し、昨シーズンからホッフェンハイムでプレーしている。
13-14シーズンは岡崎慎司が最高の結果を出した。シュールレに並ぶ15得点(前半戦8得点)をマークしたのだ。岡崎はこのシーズン、実は“たったの”10試合しか得点していない。5度のドッペルパック(=1試合・2得点)の達成が大きかった。
岡崎は翌シーズンに12得点(同8得点)を挙げて再びチームのトップストライカーとなり、ご存知の通り今夏に1100万ユーロ(約15億4000万円)の移籍金でレスターへ旅立った。
こうして振り返ってみると、14節終了時点で7ゴールを記録している武藤は、クラブの歴史でも結果を出した一人に数えられるのである。このペースを保てれば、シュールレと岡崎の記録を更新する日はそう遠くはないだろう。ステップアップを果たす日も、また然りだ。
文:ラインハルト・レーベルク
翻訳:円賀貴子
【著者プロフィール】
Reinhard REHBERG(ラインハルト・レーベルク)/『ライン新聞』で1987年から27年にわたってマインツの番記者を務める。現在はフリーで、「マインツァー・アルゲマイネ新聞」のコラムニストを務める一方、監督業を志す指導者に向けたコーチングも行なっている。マインツ出身、57年7月30日生まれ。
シュールレはその後レバークーゼン、チェルシーを経て、現在はヴォルフスブルクに所属。育成元のマインツは移籍に伴い計1500万ユーロ(約21億円)を儲けた。このシュールレの軌跡をたどろうとしているのが、武藤である。
翌11-12シーズンの最多得点者は現在シャルケに所属しているマキシム・シュポ=モティングで、10得点(同4得点)を挙げた。12−13シーズンには、アダム・サライが13得点(同9得点)。その後、サライは移籍金800万ユーロ(約11億2000万円)でシャルケへ移籍し、昨シーズンからホッフェンハイムでプレーしている。
13-14シーズンは岡崎慎司が最高の結果を出した。シュールレに並ぶ15得点(前半戦8得点)をマークしたのだ。岡崎はこのシーズン、実は“たったの”10試合しか得点していない。5度のドッペルパック(=1試合・2得点)の達成が大きかった。
岡崎は翌シーズンに12得点(同8得点)を挙げて再びチームのトップストライカーとなり、ご存知の通り今夏に1100万ユーロ(約15億4000万円)の移籍金でレスターへ旅立った。
こうして振り返ってみると、14節終了時点で7ゴールを記録している武藤は、クラブの歴史でも結果を出した一人に数えられるのである。このペースを保てれば、シュールレと岡崎の記録を更新する日はそう遠くはないだろう。ステップアップを果たす日も、また然りだ。
文:ラインハルト・レーベルク
翻訳:円賀貴子
【著者プロフィール】
Reinhard REHBERG(ラインハルト・レーベルク)/『ライン新聞』で1987年から27年にわたってマインツの番記者を務める。現在はフリーで、「マインツァー・アルゲマイネ新聞」のコラムニストを務める一方、監督業を志す指導者に向けたコーチングも行なっている。マインツ出身、57年7月30日生まれ。
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