メンデスはデ・ヘア移籍に失敗したが、マルシアルの高額取り引きをまとめて面子を保った。

デ・ヘアは9月11日にユナイテッドとの契約を2019年まで延長。フリーエージェントになる来夏に移籍金ゼロで獲得できると踏んでいたマドリーにとっては、目論見が外れたことになる。(C)Getty Images
デ・ヘアとナバスの交換トレードは、どちらの代理人でもないが、マドリー&ユナイテッドと非常に密接な関係にあるジョルジュ・メンデス(クリスチアーノ・ロナウドやジョゼ・モウリーニョを顧客に抱える業界随一の敏腕エージェント)が主導したものだ。
メンデスは、ボーナス込みで最大8000万ユーロ(約112億円)もの巨額がモナコに転がり込むアントニー・マルシアルの移籍にもかかわっており、メルカート最終盤におけるユナイテッド絡みの案件の黒幕だった。
おそらくメンデスは、デ・ヘアを放出すればユナイテッド側のマスコミやサポーターの反発が強まると見越して、それを緩和するためにナバス、さらにはマルシアルを引っ張ってこようと考えたのだろう。
それがナバスとの交換を巡る交渉が予想以上に長引いたため、シナリオが完全に崩れてしまったのだ。
とはいえ、弱冠19歳のマルシアルの取り引きで超高額を動かしたその手腕は、さすがメンデスと言うべきだろう。
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
※ワールドサッカーダイジェスト2015.10.15号より加筆・修正
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【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO / SKY ITALIA
ジャンルカ・ディ・マルツィオ
1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。父は70~90年代にナポリ、ジェノア、レッチェなどで監督を歴任し、現在はTVコメンテーターのジャンニ・ディ・マルツィオ。選手としては才能に恵まれず、ジャーナリストを志し、パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタート。04年から『スカイ・イタリア』に所属する。父を通して得た人脈を活かしてカルチョの世界に広いネットワークを築き、移籍マーケットの専門記者という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、13年1月にグアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。
メンデスは、ボーナス込みで最大8000万ユーロ(約112億円)もの巨額がモナコに転がり込むアントニー・マルシアルの移籍にもかかわっており、メルカート最終盤におけるユナイテッド絡みの案件の黒幕だった。
おそらくメンデスは、デ・ヘアを放出すればユナイテッド側のマスコミやサポーターの反発が強まると見越して、それを緩和するためにナバス、さらにはマルシアルを引っ張ってこようと考えたのだろう。
それがナバスとの交換を巡る交渉が予想以上に長引いたため、シナリオが完全に崩れてしまったのだ。
とはいえ、弱冠19歳のマルシアルの取り引きで超高額を動かしたその手腕は、さすがメンデスと言うべきだろう。
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
※ワールドサッカーダイジェスト2015.10.15号より加筆・修正
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【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO / SKY ITALIA
ジャンルカ・ディ・マルツィオ
1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。父は70~90年代にナポリ、ジェノア、レッチェなどで監督を歴任し、現在はTVコメンテーターのジャンニ・ディ・マルツィオ。選手としては才能に恵まれず、ジャーナリストを志し、パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタート。04年から『スカイ・イタリア』に所属する。父を通して得た人脈を活かしてカルチョの世界に広いネットワークを築き、移籍マーケットの専門記者という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、13年1月にグアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。