今期のような黒字を毎夏出せるわけでないことを承知している。

賢く節度のある戦力補強に努めるマインツ。150万ユーロで手に入れた岡崎慎司は、1000万ユーロという高額な移籍金をクラブにもたらしたが、これが毎シーズンあることではないのは重々承知している。※金額は推定。 (C) Getty Images
マインツは特別な日にしか、トップ5のチームに勝つチャンスがないのは自明である。0-1で敗れた6節のレバクーゼン戦は、中3日での試合だったため、自分たちの持つポテンシャルを出し切れなかった。
しかしバイエルン戦(0-3で敗れるも前半は0-0)では、コンディションも良く真剣にこの試合に臨んだ王者を相手に、良いパフォーマンスを見せた。
バイエルンには、1人で1000万ユーロもの年俸を稼ぐ選手が何人もいる。マインツの選手のトップサラリーは、200万ユーロをちょっと下回るくらい。この“高給取り”のなかには、武藤嘉紀、ユヌス・マッリ、ユリアン・バウムガートリンガーとGKロリス・カリウスが含まれる。
マネジャーのクリスティアン・ハイデルは、現段階で人件費が3000万ユーロを上回ることがないよう努めている。今シーズンなら、この額を超えても問題なかっただろう。しかし彼は、2015年のような黒字を毎夏出せるわけでもないことを、承知しているのである。
移籍収入なしでマインツが達することができるのは、良くても6500万ユーロ。スタジアムの広告やラウンジなどもすでに95パーセントは埋まっており、最大収容人数が34000人のスタジアムでは1試合平均観客数は30000人だから、ここでの収入増はほとんど見込めない。
テレビ放映権収入が1000万ユーロ増えるとハイデル・マネジャーが見込んでいるのは、ブンデスリーガのテレビ放映権が更新される2018年のことである。マインツの人件費も、段階的に3000~3500万ユーロに増やしていくという。
しかしこの増率は、第3階級に属する他のクラブに関しても言えることだから、現在の競争力が大きく変わることは、おそらくない。だからマインツが、賢く節度のある、プラスを見込める強化戦略に頼っていくことは変わらない。
そしてそれは、スポーツ面での目標についても同様である。神経をすり減らすような残留争いに身を置くことなく、1部リーグに留まり続けること――。それは今シーズンにも当てはまるだろう。
文:ラインハルト・レーベルク 「マインツァー・アルゲマイネ新聞」コラムニスト
翻訳:円賀貴子
Reinhard REHBERG
ラインハルト・レーベルク/「ライン新聞」で1987年から27年にわたってマインツの番記者を務める。現在はフリーで、「マインツァー・アルゲマイネ新聞」のコラムニストを務める一方、監督業を志す指導者に向けたコーチングも行なっている。マインツ出身、57年7月30日生まれ。
しかしバイエルン戦(0-3で敗れるも前半は0-0)では、コンディションも良く真剣にこの試合に臨んだ王者を相手に、良いパフォーマンスを見せた。
バイエルンには、1人で1000万ユーロもの年俸を稼ぐ選手が何人もいる。マインツの選手のトップサラリーは、200万ユーロをちょっと下回るくらい。この“高給取り”のなかには、武藤嘉紀、ユヌス・マッリ、ユリアン・バウムガートリンガーとGKロリス・カリウスが含まれる。
マネジャーのクリスティアン・ハイデルは、現段階で人件費が3000万ユーロを上回ることがないよう努めている。今シーズンなら、この額を超えても問題なかっただろう。しかし彼は、2015年のような黒字を毎夏出せるわけでもないことを、承知しているのである。
移籍収入なしでマインツが達することができるのは、良くても6500万ユーロ。スタジアムの広告やラウンジなどもすでに95パーセントは埋まっており、最大収容人数が34000人のスタジアムでは1試合平均観客数は30000人だから、ここでの収入増はほとんど見込めない。
テレビ放映権収入が1000万ユーロ増えるとハイデル・マネジャーが見込んでいるのは、ブンデスリーガのテレビ放映権が更新される2018年のことである。マインツの人件費も、段階的に3000~3500万ユーロに増やしていくという。
しかしこの増率は、第3階級に属する他のクラブに関しても言えることだから、現在の競争力が大きく変わることは、おそらくない。だからマインツが、賢く節度のある、プラスを見込める強化戦略に頼っていくことは変わらない。
そしてそれは、スポーツ面での目標についても同様である。神経をすり減らすような残留争いに身を置くことなく、1部リーグに留まり続けること――。それは今シーズンにも当てはまるだろう。
文:ラインハルト・レーベルク 「マインツァー・アルゲマイネ新聞」コラムニスト
翻訳:円賀貴子
Reinhard REHBERG
ラインハルト・レーベルク/「ライン新聞」で1987年から27年にわたってマインツの番記者を務める。現在はフリーで、「マインツァー・アルゲマイネ新聞」のコラムニストを務める一方、監督業を志す指導者に向けたコーチングも行なっている。マインツ出身、57年7月30日生まれ。