日本人選手のセリエAデビューに注目集まるも、思わぬ事態…。
記念すべき日本人のセリエAデビュー戦。しかし、イタリア人はこれを、いぶかしげに見つめていた。サブと思われていたカズのスタメン入りには「スポンサーのご機嫌をうかがうアルド・スピネッリ会長の意向があった」との説がまことしやかに囁かれたのである。
果たして、カルチョの「ラ・スカラ」でのカズは無残だった。元々ドリブルなどテクニックとスピードで勝負するウイングタイプの彼は、慣れないワントップに置かれ、当時イタリアを代表するDFだったフランコ・バレージ、アレッサンドロ・コスタクルタの餌食となった。
また、必死に動いてボールを待つも、味方がパスを出してくれることはなかった。カズの人間性を評価するチームメイトたちは、しかしピッチ上では新参者の日本人に何の信頼も置いていなかったのである。
そして28分、バレージとの空中戦で顔面を強打したカズは、そのままピッチに倒れ込んだ。担架で運び出されて治療を受け、いったんは戦列に復帰したが、その左目はひどく腫れ上がっており、結局前半だけで試合を終えることとなった(試合はミランが1-0で勝利)。
救急車で運び込まれた病院での診断結果は、鼻骨、眼窩の陥没で全治約1か月……。トーマス・スクラビー、ミケーレ・パドバーノといったレギュラー陣が欠場している間に好印象を残してレギュラーポジション獲得を狙ったのに、自身も大事な時期を病院のベッドの上で過ごす羽目となったのである。
その後、サンプドリアとのジェノバダービーで貴重なゴールを挙げるなど、良いこともあったが、監督が2度も交代したこともあり、年間での試合出場は21、そのうちスタメン出場は10試合のみ(得点は前述の1点のみ)と、欧州での初挑戦は苦い思いばかりが先行するものとなった。
ジェノアはセリエBに降格し、カズはシーズン後に退団、日本へ帰国した。しかし、彼はこの経験を糧として成長を遂げ、多くの人々から尊敬を集めながら、今なお現役としてピッチを駆け続けている。
このように先駆者にとって苦難の幕開けとなったカード。あれから21年が経つ。カズ同様、アウェーの地に赴く本田は、今回もピッチに立つことができるか。そして出場した時、そこで何を見せてくるだろうか。
果たして、カルチョの「ラ・スカラ」でのカズは無残だった。元々ドリブルなどテクニックとスピードで勝負するウイングタイプの彼は、慣れないワントップに置かれ、当時イタリアを代表するDFだったフランコ・バレージ、アレッサンドロ・コスタクルタの餌食となった。
また、必死に動いてボールを待つも、味方がパスを出してくれることはなかった。カズの人間性を評価するチームメイトたちは、しかしピッチ上では新参者の日本人に何の信頼も置いていなかったのである。
そして28分、バレージとの空中戦で顔面を強打したカズは、そのままピッチに倒れ込んだ。担架で運び出されて治療を受け、いったんは戦列に復帰したが、その左目はひどく腫れ上がっており、結局前半だけで試合を終えることとなった(試合はミランが1-0で勝利)。
救急車で運び込まれた病院での診断結果は、鼻骨、眼窩の陥没で全治約1か月……。トーマス・スクラビー、ミケーレ・パドバーノといったレギュラー陣が欠場している間に好印象を残してレギュラーポジション獲得を狙ったのに、自身も大事な時期を病院のベッドの上で過ごす羽目となったのである。
その後、サンプドリアとのジェノバダービーで貴重なゴールを挙げるなど、良いこともあったが、監督が2度も交代したこともあり、年間での試合出場は21、そのうちスタメン出場は10試合のみ(得点は前述の1点のみ)と、欧州での初挑戦は苦い思いばかりが先行するものとなった。
ジェノアはセリエBに降格し、カズはシーズン後に退団、日本へ帰国した。しかし、彼はこの経験を糧として成長を遂げ、多くの人々から尊敬を集めながら、今なお現役としてピッチを駆け続けている。
このように先駆者にとって苦難の幕開けとなったカード。あれから21年が経つ。カズ同様、アウェーの地に赴く本田は、今回もピッチに立つことができるか。そして出場した時、そこで何を見せてくるだろうか。

セリエAデビューから先立つこと4日前、コッパ・イタリアで公式戦デビューを果たしていたが、ここでもチェゼーナ(当時セリエB)DF陣の徹底マークによりシュートはわずか1本に終わった。地元紙は「アルマーニが好きなミウラ。ファッションショーでなら有名になれる」と揶揄した。