13年は26ゴールで狙い通り得点王を手中に
2003年の日韓戦で初キャップを飾って以来、大久保の代表人生は紆余曲折の連続だった。2006年ドイツW杯はあと一歩のところで落選。当時は20代前半で、「まだ次がある」と前向きに捉え、次の南アを本気で狙いに行った。そして2008年の岡田武史監督就任後は常連になり、このままいけば南ア行きは確実と見られたが、2009年1月のヴォルフスブルク移籍で状況が一変した。
新天地では思うように出場機会を得られたわけではなかった。「協会の人に『このままだったらW杯には選ばれない』と言われて、すぐに日本に帰りたくなりました(苦笑)。(監督のフェリックス・)マガトに『環境に慣れれば出れるようになるから、1年くらい我慢しろ』と言われたけど、どうしても南アに行きたかったから半年で神戸に戻る決断をしました」と本人は言う。
神戸時代はそこまでゴールは奪えなかったものの、長年の念願だった南アW杯を射止め、16強入りに貢献したことで、ある程度の達成感を覚えたという。
そんな経緯があっただけに、ブラジルのことはあまり考えていなかった。ザック時代は「代表は規律も多いし、面倒だから、正直、もう行きたくない」と思ったほどだ。
けれども、2013年5月12日に61歳の若さで他界した父・克博さんの「代表になれ」という言葉が、自身の考えをガラリと変えた。
「そもそも僕にとってのW杯は『父親と一緒に見た思い出の大会』。小学生だった頃、94年アメリカW杯でブラジル代表を見ながら『お前、これに出ろ』と言われたのはよく覚えています。自分もロマーリオを好きになったし、本気でワールドカップを目ざすようになった。それで南アに行ったんで、もういいと思っていたんです。
だけど、父親は亡くなる前に『サッカー選手をやっている間はそんなことは言うな』と何度も口にした。そして『代表になれ。空の上から見とうぞ』と書かれた遺書も読みました。となれば、やらないわけにはいかない。その時は川崎移籍1年目でまだJ1で5~6点しか取っていなかったんで、『得点王を取らなアカン』と思った。『ゴールを取り続けたら可能性がある』と信じて戦ったんです」
新天地では思うように出場機会を得られたわけではなかった。「協会の人に『このままだったらW杯には選ばれない』と言われて、すぐに日本に帰りたくなりました(苦笑)。(監督のフェリックス・)マガトに『環境に慣れれば出れるようになるから、1年くらい我慢しろ』と言われたけど、どうしても南アに行きたかったから半年で神戸に戻る決断をしました」と本人は言う。
神戸時代はそこまでゴールは奪えなかったものの、長年の念願だった南アW杯を射止め、16強入りに貢献したことで、ある程度の達成感を覚えたという。
そんな経緯があっただけに、ブラジルのことはあまり考えていなかった。ザック時代は「代表は規律も多いし、面倒だから、正直、もう行きたくない」と思ったほどだ。
けれども、2013年5月12日に61歳の若さで他界した父・克博さんの「代表になれ」という言葉が、自身の考えをガラリと変えた。
「そもそも僕にとってのW杯は『父親と一緒に見た思い出の大会』。小学生だった頃、94年アメリカW杯でブラジル代表を見ながら『お前、これに出ろ』と言われたのはよく覚えています。自分もロマーリオを好きになったし、本気でワールドカップを目ざすようになった。それで南アに行ったんで、もういいと思っていたんです。
だけど、父親は亡くなる前に『サッカー選手をやっている間はそんなことは言うな』と何度も口にした。そして『代表になれ。空の上から見とうぞ』と書かれた遺書も読みました。となれば、やらないわけにはいかない。その時は川崎移籍1年目でまだJ1で5~6点しか取っていなかったんで、『得点王を取らなアカン』と思った。『ゴールを取り続けたら可能性がある』と信じて戦ったんです」
目の色を変えた大久保の破壊力は抜群で、2013年は26ゴールを奪い、本当に得点王を手中にした。実はこのタイミングで協会の霜田正浩技術委員長(当時)から何度か電話が入り、「ザックと1回話してほしい」と言われたようだが、大久保自身から歩み寄ることはせず、数字で納得させる方法を選んだ。
「1シーズンだけ点を取れる選手はよくいるけど、大事なのは毎年取り続けること。ブラジル大会までまだ半年あるし、ここでペースダウンしたら意味がない。自分を呼ばざるを得ない状況を作り出すしかない」と自らに言い聞かせ、ハイペースで得点を積み重ねた。
迎えた2014年5月12日のメンバー発表。ザック監督は大久保嘉人の名前を呼ぶに至った。
「1シーズンだけ点を取れる選手はよくいるけど、大事なのは毎年取り続けること。ブラジル大会までまだ半年あるし、ここでペースダウンしたら意味がない。自分を呼ばざるを得ない状況を作り出すしかない」と自らに言い聞かせ、ハイペースで得点を積み重ねた。
迎えた2014年5月12日のメンバー発表。ザック監督は大久保嘉人の名前を呼ぶに至った。