シャイな性格でパン屋に行くのも諦めた!?
【ベルギー代表】
初招集は20年11月。11日のスイス戦(親善試合)で、わずか1分の出場ながら念願のデビューを飾った。以降は出番に恵まれず、EURO2020は予備メンバーに入ったものの23人枠からは漏れてしまう。当時は練習に参加しても、憧れのビッグネームたち──なかでもデ・ブルイネは彼のアイドルだ──の中で尻込みしていたという。
2キャップ目は初出場から11か月後のUEFAネーションズリーグ3位決定戦。このイタリア戦(10月10日)で、尊敬するデ・ブルイネのアシストから初ゴールをマークした。翌11月のW杯予選のエストニア戦とウェールズ戦にも出場し、後者では初先発を飾っている。
とはいえ、まだ代表で確固たる地位を築くには至っていない。前線にはデ・ブルイネやルカク、エデン・アザール、ドクらライバルが多く、カタールW杯のメンバー入りも現時点では50%といったところか。ただ、いままさに成長を遂げており、伸びしろも十分。国民も大きな期待を寄せている。
【移籍】
欧州中のクラブが動向を追っている。ナポリは21年夏に興味を示したが、正式オファーには至らなかった。クラブ・ブルージュが設定した移籍金は3500~4000万ユーロ(約45億5000万円~52億円)と伝えられており、それがネックになったのだろう。代理人を務める元ベルギー代表MFのデ・ムルは、ムサ・デンベレやヴェルトンゲンのエージェントでもあり、トッテナムと太いパイプを持っている。ただ、実際に移籍先の候補として取り沙汰されているのは、アーセナルやリバプール、エバートン、レスターなどだ。
クラブ・ブルージュ側は22年夏の売却もやぶさかではないようだが、本人はCLとカタールW杯への出場を何よりも重視しており、所属クラブの格よりも出場機会に重きを置くはずだ。そう考えると、現行契約が満了する24年夏まで残るとはいわないまでも、22年中に移籍を決断する可能性は低いのではないか。
初招集は20年11月。11日のスイス戦(親善試合)で、わずか1分の出場ながら念願のデビューを飾った。以降は出番に恵まれず、EURO2020は予備メンバーに入ったものの23人枠からは漏れてしまう。当時は練習に参加しても、憧れのビッグネームたち──なかでもデ・ブルイネは彼のアイドルだ──の中で尻込みしていたという。
2キャップ目は初出場から11か月後のUEFAネーションズリーグ3位決定戦。このイタリア戦(10月10日)で、尊敬するデ・ブルイネのアシストから初ゴールをマークした。翌11月のW杯予選のエストニア戦とウェールズ戦にも出場し、後者では初先発を飾っている。
とはいえ、まだ代表で確固たる地位を築くには至っていない。前線にはデ・ブルイネやルカク、エデン・アザール、ドクらライバルが多く、カタールW杯のメンバー入りも現時点では50%といったところか。ただ、いままさに成長を遂げており、伸びしろも十分。国民も大きな期待を寄せている。
【移籍】
欧州中のクラブが動向を追っている。ナポリは21年夏に興味を示したが、正式オファーには至らなかった。クラブ・ブルージュが設定した移籍金は3500~4000万ユーロ(約45億5000万円~52億円)と伝えられており、それがネックになったのだろう。代理人を務める元ベルギー代表MFのデ・ムルは、ムサ・デンベレやヴェルトンゲンのエージェントでもあり、トッテナムと太いパイプを持っている。ただ、実際に移籍先の候補として取り沙汰されているのは、アーセナルやリバプール、エバートン、レスターなどだ。
クラブ・ブルージュ側は22年夏の売却もやぶさかではないようだが、本人はCLとカタールW杯への出場を何よりも重視しており、所属クラブの格よりも出場機会に重きを置くはずだ。そう考えると、現行契約が満了する24年夏まで残るとはいわないまでも、22年中に移籍を決断する可能性は低いのではないか。
【プライベート&人気】
クラブ・ブルージュの本拠地とデ・ケテラーレの実家からほど近い街の壁に、彼の名前のグラフィティが描かれており、ファーストネームの「C」の文字には王冠が乗っている。それは“プリンス・シャルル”から“キング・シャルル”にニックネームが変わったことを示すものだ。ブルージュでは地元出身の選手が下部組織からトップチームに昇格するケース自体が珍しく、若くして主軸となったデ・ケテラーレには老若男女が声援を送り、その人気は絶大だ。19年10月にCLにデビューした翌日には、多くの女性ファンがSNSで繋がりを求め、大いに賑わった。
外科医の父と看護師の母のもと、本拠地の近くで生まれ育った根っからのブルージュ・サポーターながら、少年時代はテニス競技でも才能を示し、フランドル地方の年代別王者になったほどだ。学業成績も優秀で、すでに退学したが大学では法学部に通っていた。現在も母親と暮らし、規則正しい生活を送っている。人々に囲まれるのを嫌うシャイな性格で、いまではパン屋に行くことも諦めたとか。
文●フクリストフ・テルール(Kristof TERREUR)
ベルギー誌『スポルト/フットボールマガジン』でキャリアを歩み始め、03年に同国主要紙『ヘット・ラーツテ・ニュース』へ。12年から同紙の特派員としてロンドンに拠点を置く。81年、ブラスハート生まれ。
※『ワールドサッカーダイジェスト』2022年2月3日号より加筆・修正