前回のU-19代表は所属Jクラブで唯一主力だった南野に依存。
そして今回、今年の10月にU-19アジア選手権予選(ラオス)を控えるU-18日本代表は、「新潟国際ユースサッカー」に参加するU-17日本代表と新潟で合同合宿を行なった。
「U-17とU-18が合同で合宿することは、すごく意味のあること。選手たちに良い刺激を与えている。特にU-17の選手たちにとっては、学年がひとつ違うことで、どれだけ質が違ってくるのか。それを目の当たりにすることで、『自分も』という気持ちになる。今でこそ、U-16、U-17、U-18と分かれているが、来年U-19になり、再来年U-20になれば、正直そのカテゴリーは関係なく、全員が目指す対象になる。なので、この時点で下のカテゴリーが上がってこないといけない」(内山監督)
実際問題、このカテゴリーのチームはU-18からU-19に上がった途端、一気に選手間のコンディションにばらつきが出てしまう傾向がある。それを引き起こしているのが、プロ1年目の選手の『出場機会の激減』だ。U-18世代は高校3年生が中心のため、多くの選手が所属チームで主軸として活躍しており、実戦経験は豊富だ。
その一方で、一足早くプロになった早生まれの選手は、どうしてもプロの厚い選手層の壁にぶち当たり、実戦から遠ざかってコンディションを落としてしまう。常に試合に出ている選手と、そうではない選手。合宿で一堂に会すると、動きの質の違いは歴然たる差となって表われてしまう。
まだU-18では、実戦経験が減っている選手は早生まれ選手のみの少数派だが、翌年U-19アジア選手権の本選を迎える年になり、世代全体がU-19に上がると、その少数派が一気に多数派に転じてしまう。
「政さんの2年目の時、一気に選手たちの出場機会が減ったことで、コンディションが明らかに下がってしまい、その余波をチームがもろに受けてしまったことを目の当たりにした」(内山監督)
この問題は、鈴木監督前時代だけではなく、吉田靖監督時代、布啓一郎監督時代、牧内辰也監督時代にも、まったく同じ現象が起こり、それが結果につながってしまったと言っても過言ではなかった。
話を鈴木前監督時代のU-19日本代表に戻せば、当時のプロメンバーで、常に実戦経験を積めていたのは、当時C大阪の南野拓実(ザルツブルク)のみ。関根貴大は今でこそ浦和の不動のレギュラーだが、当時は試合終盤に投入されるスーパーサブだったために、いざU-19日本代表でスタメン出場すると、後半にプレーの精度が落ちたり、自分が主軸となって周りを動かすプレーに大きな戸惑いを覚えていた。
結果、チームは『南野頼り』となってしまい、ゴールも南野の個人技によるものが多かった。
しかし、『南野頼り』となってしまったチームのなかで、躍動した選手たちもいた。それが、MF井手口陽介(G大阪)と奥川雅也(ザルツブルク)のふたりだ。実は、今回新潟で行なわれたU-17とU-18の合同合宿を実現させたのも、日本協会がその事実に活路を見出そうとしたからだ。
「U-17とU-18が合同で合宿することは、すごく意味のあること。選手たちに良い刺激を与えている。特にU-17の選手たちにとっては、学年がひとつ違うことで、どれだけ質が違ってくるのか。それを目の当たりにすることで、『自分も』という気持ちになる。今でこそ、U-16、U-17、U-18と分かれているが、来年U-19になり、再来年U-20になれば、正直そのカテゴリーは関係なく、全員が目指す対象になる。なので、この時点で下のカテゴリーが上がってこないといけない」(内山監督)
実際問題、このカテゴリーのチームはU-18からU-19に上がった途端、一気に選手間のコンディションにばらつきが出てしまう傾向がある。それを引き起こしているのが、プロ1年目の選手の『出場機会の激減』だ。U-18世代は高校3年生が中心のため、多くの選手が所属チームで主軸として活躍しており、実戦経験は豊富だ。
その一方で、一足早くプロになった早生まれの選手は、どうしてもプロの厚い選手層の壁にぶち当たり、実戦から遠ざかってコンディションを落としてしまう。常に試合に出ている選手と、そうではない選手。合宿で一堂に会すると、動きの質の違いは歴然たる差となって表われてしまう。
まだU-18では、実戦経験が減っている選手は早生まれ選手のみの少数派だが、翌年U-19アジア選手権の本選を迎える年になり、世代全体がU-19に上がると、その少数派が一気に多数派に転じてしまう。
「政さんの2年目の時、一気に選手たちの出場機会が減ったことで、コンディションが明らかに下がってしまい、その余波をチームがもろに受けてしまったことを目の当たりにした」(内山監督)
この問題は、鈴木監督前時代だけではなく、吉田靖監督時代、布啓一郎監督時代、牧内辰也監督時代にも、まったく同じ現象が起こり、それが結果につながってしまったと言っても過言ではなかった。
話を鈴木前監督時代のU-19日本代表に戻せば、当時のプロメンバーで、常に実戦経験を積めていたのは、当時C大阪の南野拓実(ザルツブルク)のみ。関根貴大は今でこそ浦和の不動のレギュラーだが、当時は試合終盤に投入されるスーパーサブだったために、いざU-19日本代表でスタメン出場すると、後半にプレーの精度が落ちたり、自分が主軸となって周りを動かすプレーに大きな戸惑いを覚えていた。
結果、チームは『南野頼り』となってしまい、ゴールも南野の個人技によるものが多かった。
しかし、『南野頼り』となってしまったチームのなかで、躍動した選手たちもいた。それが、MF井手口陽介(G大阪)と奥川雅也(ザルツブルク)のふたりだ。実は、今回新潟で行なわれたU-17とU-18の合同合宿を実現させたのも、日本協会がその事実に活路を見出そうとしたからだ。