ブラジル・サッカー史上最大の悲劇の戦犯に
その後、彼はパルメイラスの監督を受けるが、ここでも成績不振で更迭。しかし、一番の間違いは2012年に再びブラジル代表の監督を引き受けてしまったことだ。
2013年のコンフェデレーションズカップでは戴冠を果たしたものの、翌年の自国開催のW杯では、準決勝でドイツに1‐7と歴史的敗戦を喫してしまう。それまでブラジル・サッカー史の最大の悲劇は1950年ブラジルW杯でウルグアイに敗れたことだったが、この大敗はそれ以上の悲劇、いや屈辱となった。少なくとも1950年のブラジルは、いいプレーをしていたからだ。
スコラーリはこの屈辱的な大敗の戦犯となってしまった。もし彼が代表監督を引き受けなかったら、2002年の優勝監督としていつまでも栄光とともに人々の記憶に残っただろう。またも選択を誤ったのだ。
その後は中国の広州恒大でこそ成功したものの、ブラジルに帰って指揮したパルメイラス、クルゼイロ、グレミオでは、そのすべてで成績不振で解任されている。最後のクルゼイロはリベルタードレス杯で優勝を果たし、トヨタカップ出場に導いたチームである。スコラーリは英雄視されていたが、それでも更迭は避けられなかった。
2013年のコンフェデレーションズカップでは戴冠を果たしたものの、翌年の自国開催のW杯では、準決勝でドイツに1‐7と歴史的敗戦を喫してしまう。それまでブラジル・サッカー史の最大の悲劇は1950年ブラジルW杯でウルグアイに敗れたことだったが、この大敗はそれ以上の悲劇、いや屈辱となった。少なくとも1950年のブラジルは、いいプレーをしていたからだ。
スコラーリはこの屈辱的な大敗の戦犯となってしまった。もし彼が代表監督を引き受けなかったら、2002年の優勝監督としていつまでも栄光とともに人々の記憶に残っただろう。またも選択を誤ったのだ。
その後は中国の広州恒大でこそ成功したものの、ブラジルに帰って指揮したパルメイラス、クルゼイロ、グレミオでは、そのすべてで成績不振で解任されている。最後のクルゼイロはリベルタードレス杯で優勝を果たし、トヨタカップ出場に導いたチームである。スコラーリは英雄視されていたが、それでも更迭は避けられなかった。
スコラーリは11月9日で73歳になる。年齢からも、これまでのいきさつらも、ほとんど終わった監督だと思われてしまっている。しかし彼は引き際を知らない。南部ブラジルの人間は頑固だ。ドゥンガを見てもそれはわかるだろう。
ただブラジルのチームはもう彼を欲しがらない。ヨーロッパもそうだ。そこで浮上してくる行先の一つが日本だ。スコラーリは日本となにかと縁がある。彼がセレソンを率いて世界の頂点に立ったのも日本だったし、95年にはグレミオを率いてトヨタカップでプレーしている。短い期間ではあったがジュビロ磐田を率いたこともある。
2019年に日本代表がコパ・アメリカに招待されたときにはパルメイラスの施設を使っていた森保ジャパンの練習を見に来ていたりもしている。日本にはぜひまた行きたいと彼自身の口から何度も聞いたことがある。
彼の近しい人間によると、いま日本の3つのエージェントが彼にコンタクトをとってきているという。どこのチームにということはわからないが、もしかしたら日本代表もあるのではないかと思う。ただし、監督というよりはアドバイザーに近い形でだ。
この先、森保監督が続投するにしろ、別の日本人指揮官が率いるにしろ、国際的な経験が豊富なスコラーリが横でアドバイスをする。可能であれば、そこに日本の選手とスコラーリの双方を知るジーコも加わってくれれば、鬼に金棒だ。日本の選手は名将の教えに触れられ、監督はその経験から多くを学び、スコラーリ自身は最後の花道を得る。まさにウィンウィンではないだろうか。
文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子
【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/ブラジル・サンパウロ出身のフリージャーナリスト。8か国語を操り、世界のサッカーの生の現場を取材して回る。FIFAの役員も長らく勤め、ジーコ、ドゥンガ、カフーなど元選手の知己も多い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授としても大学で教鞭をとる。
ただブラジルのチームはもう彼を欲しがらない。ヨーロッパもそうだ。そこで浮上してくる行先の一つが日本だ。スコラーリは日本となにかと縁がある。彼がセレソンを率いて世界の頂点に立ったのも日本だったし、95年にはグレミオを率いてトヨタカップでプレーしている。短い期間ではあったがジュビロ磐田を率いたこともある。
2019年に日本代表がコパ・アメリカに招待されたときにはパルメイラスの施設を使っていた森保ジャパンの練習を見に来ていたりもしている。日本にはぜひまた行きたいと彼自身の口から何度も聞いたことがある。
彼の近しい人間によると、いま日本の3つのエージェントが彼にコンタクトをとってきているという。どこのチームにということはわからないが、もしかしたら日本代表もあるのではないかと思う。ただし、監督というよりはアドバイザーに近い形でだ。
この先、森保監督が続投するにしろ、別の日本人指揮官が率いるにしろ、国際的な経験が豊富なスコラーリが横でアドバイスをする。可能であれば、そこに日本の選手とスコラーリの双方を知るジーコも加わってくれれば、鬼に金棒だ。日本の選手は名将の教えに触れられ、監督はその経験から多くを学び、スコラーリ自身は最後の花道を得る。まさにウィンウィンではないだろうか。
文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子
【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/ブラジル・サンパウロ出身のフリージャーナリスト。8か国語を操り、世界のサッカーの生の現場を取材して回る。FIFAの役員も長らく勤め、ジーコ、ドゥンガ、カフーなど元選手の知己も多い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授としても大学で教鞭をとる。