セレソン史上初の“ワンマンチーム”が作られようとしている。

いつの時代にもクラッキ(天才)を愛するブラジル国民は、宿敵の絶対的エースだった“にっくき”マラドーナを認め、嫉妬しながらもそのプレーに酔いしれた。今、そんな彼らの期待は全て、自国が手に入れた天才ネイマールに寄せられている。 (C) Getty Images
さらにネイマールは、審判控室の前で主審を待ち伏せし、口汚く罵ってしまった。これで4試合の出場停止処分……。結果的に、大会から追放されてしまった。
彼を欠いたセレソンは、グループリーグの最終戦でベネズエラには2-1で勝ったが、準々決勝のパラグアイ戦では1-1からのPK戦で敗退。図らずも、ネイマールがいるのといないのとでは全く別のチームであることを、改めて証明してしまった。
コパ・アメリカでは、ネイマールは人間的な未熟さを露呈した。しかし、それでもドゥンガ監督は、「セレソンのキャプテンは今後もネイマールだ」と断言する。
そこには、あくまでもネイマール中心のチーム作りを継続し、彼のさらなる成長を待ち、それによってセレソンを再び世界の頂点に押し上げようという意図が感じられる。つまり、ペレの時代にもなかった、セレソン史上初の“ワンマンチーム”を作ろうとしているようなのである。
このような“ワンマンチーム”がワールドカップを制覇したケースといえば、すぐに思い浮かぶのか1986年メキシコ大会のアルゼンチンだ。
あの時、背番号10にしてキャプテンの天才ディエゴ・マラドーナはピッチを自在に動き回り、超人的なテクニックで試合を意のままにコントロール。相手チームは、まるで彼に魔法でもかけられたかのように無力だった。
以後、28年間、あのような形でワールドカップに優勝した国はひとつもない。
果たしてネイマールは今後、セレソンを率いてワールドカップで優勝し、“マラドーナ”になれるのか。
テクニック、スピード、戦術眼など能力面では、近い将来、マラドーナの域に達する資質は十分に備えている。カリスマ性もたっぷり持ち合わせている。マラドーナのような相手を骨抜きにするような魔力はまだないが、ここ1、2年でそれも身に付けるかもしれない。
仮に2年後、ネイマールがマラドーナと化し、ワールドカップでブラジルを6度目の戴冠に導いたならば、世界サッカー史上でペレ、マラドーナと並ぶ新たな「神様」「王様」として、後世に語り継がれる存在となるだろう。
現在、ブラジル国内では“ネイマール依存症”を心配する声が多い。しかし一方で、誰もがネイマールの抜群の能力を認識しており、彼が中心となって、セレソンがブラジル伝統の“フッチボール・アルチ”(芸術サッカー)に回帰することを熱望している。
セレソンには、“ネイマール依存症”を克服しようとするのではなく、逆にネイマールにどっぷり依存し、彼の魔法の手で頂上に押し上げてもらう、というオプションがある。ドゥンガは、それを狙っているような気がしている。
文:沢田啓明
彼を欠いたセレソンは、グループリーグの最終戦でベネズエラには2-1で勝ったが、準々決勝のパラグアイ戦では1-1からのPK戦で敗退。図らずも、ネイマールがいるのといないのとでは全く別のチームであることを、改めて証明してしまった。
コパ・アメリカでは、ネイマールは人間的な未熟さを露呈した。しかし、それでもドゥンガ監督は、「セレソンのキャプテンは今後もネイマールだ」と断言する。
そこには、あくまでもネイマール中心のチーム作りを継続し、彼のさらなる成長を待ち、それによってセレソンを再び世界の頂点に押し上げようという意図が感じられる。つまり、ペレの時代にもなかった、セレソン史上初の“ワンマンチーム”を作ろうとしているようなのである。
このような“ワンマンチーム”がワールドカップを制覇したケースといえば、すぐに思い浮かぶのか1986年メキシコ大会のアルゼンチンだ。
あの時、背番号10にしてキャプテンの天才ディエゴ・マラドーナはピッチを自在に動き回り、超人的なテクニックで試合を意のままにコントロール。相手チームは、まるで彼に魔法でもかけられたかのように無力だった。
以後、28年間、あのような形でワールドカップに優勝した国はひとつもない。
果たしてネイマールは今後、セレソンを率いてワールドカップで優勝し、“マラドーナ”になれるのか。
テクニック、スピード、戦術眼など能力面では、近い将来、マラドーナの域に達する資質は十分に備えている。カリスマ性もたっぷり持ち合わせている。マラドーナのような相手を骨抜きにするような魔力はまだないが、ここ1、2年でそれも身に付けるかもしれない。
仮に2年後、ネイマールがマラドーナと化し、ワールドカップでブラジルを6度目の戴冠に導いたならば、世界サッカー史上でペレ、マラドーナと並ぶ新たな「神様」「王様」として、後世に語り継がれる存在となるだろう。
現在、ブラジル国内では“ネイマール依存症”を心配する声が多い。しかし一方で、誰もがネイマールの抜群の能力を認識しており、彼が中心となって、セレソンがブラジル伝統の“フッチボール・アルチ”(芸術サッカー)に回帰することを熱望している。
セレソンには、“ネイマール依存症”を克服しようとするのではなく、逆にネイマールにどっぷり依存し、彼の魔法の手で頂上に押し上げてもらう、というオプションがある。ドゥンガは、それを狙っているような気がしている。
文:沢田啓明