ジェラードがリバプールにもたらした栄光の数々を振り返ろう

カテゴリ:メガクラブ

サッカーダイジェストWeb編集部

2015年03月26日

クラブの低迷期に登場して、多くのタイトルをクラブにもたらす。

ジェラードにとって初タイトルとなった2000-01シーズンのリーグカップ(当時の名称はワージントンカップ)。 (C) Getty Images

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 リバプール・ファンの家庭に生まれ、リバプールの下部組織で鍛えられ、1998年のトップチーム・デビュー以来、リバプールひと筋でプレーしてきたスティーブン・ジェラード。クラブのレジェンドとして君臨してきた名手は、今シーズン限りで愛すべき“我が家”を後にし、米国での新たな挑戦に臨むこととなる。
 
“レッズ”の象徴として、ジェラードがこのクラブやサポーターにもたらしたものは数知れないが、選手である以上、チームにどれだけのタイトルをもたらしたかが、彼にとって最高の誇りであるはずだ。
 
 ジェラードが生まれた1980年(5月30日)といえば、ノッティンガム・フォレストが欧州王者に輝いた年だが、当時はイングランド隆盛の時期で、翌年にはリバプールが戴冠を果たした。
 
 リバプールは84年にも王座を手にし、さらに翌年もチャンピオンズ・カップ(当時)決勝まで進出している(この年に忌まわしきヘイゼルの悲劇が起こり、ここから長く欧州カップ戦から締め出される羽目となったが)。
 
 国内リーグで常に優勝争いを展開した80年代のリバプール。この頃はジェラード少年も誇らしげだっただろうが、90年代に入るとリバプールは、盟主の座をマンチェスター・ユナイテッドに取って代わられてしまった。
 
 新たに創設されたプレミアリーグにおいてリバプールは、過去の栄光にあぐらをかいて凋落したクラブと見なされ、マンチェスター・Uやアーセナルの覇権争いを眺める日々を強いられていた。ジェラードがトップチームでのデビューを飾ったのは、そんなクラブの低迷期である。
 
 しかし、間もなくタイトル獲得の喜びがクラブに到来した。2001年、まず2月にリーグカップ決勝でバーミンガムをPK戦に末に下し、5月に入るとFAカップ決勝でマイケル・オーウェンの2ゴールがアーセナルを葬り去った。
 
 さらにその4日後、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)決勝ではスペインのアラベス相手に派手な点の取り合いを演じ、5-4で延長戦にもつれ込んだ激闘を制した。この試合で2点目を決めたジェラードにとって、初の国際タイトルとなった。
 
 UEFAカップ王者、FAカップ王者として、夏には欧州スーパーカップ、コミュニティシールドも制し、リバプールはタイトルづくしの1年を送ったのである。
 
 03年はリーグカップを制覇。マンチェスター・Uを2-1で下した一戦の貴重な先制点は、ジェラードによって生み出された。彼はキャプテンとしてチームをリードするだけでなく、そのゴールでチームに勝利をもたらす絶対的な存在であった。
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