「これ以上留まれば…」メッシが“永遠のシンボル”を捨てた理由【現地発】

カテゴリ:メガクラブ

エル・パイス紙

2020年09月03日

美しい思い出は障害には…

メッシの退団はもはや既定路線。今夏になるのか、それとも… (C)Getty Images

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 リオネル・メッシがバルセロナからから飛んで行こうとしている。ブロファックスという飛行機で旅するよりも迅速なツールを利用したことは、それだけ今いる場所から逃げ去りたい気持ちが強いからだろう。

 バルサはメッシにありとあらゆるものを与えてきた。しかしメッシはこれ以上留まり続ければ、奪われるもののほうが大きくなると察知し、一大決心をしたのだ。

 実際、メッシは様々な面で支えを失った。フットボール面ではクラブが世代交代のタイミングを逸しメッシを支える戦術的基盤がなくなった。ネイマールの「アディオス」とその後継者探しの迷走はその最たるものだろう。

 組織面では、バルサゲイト事件をはじめゴタゴタ続きで、フロントは支える存在とはなれなかった。しかもメッシも当事者のひとりとして巻き込んでしまったことで事態をさらに悪化させた。そして愛情面では、親友のルイス・スアレスが新監督のロナルド・クーマンから電話で構想外を告げられるというショッキングな出来事が起こるに至り、支えそのものがなくなってしまった。

 唯一残っているのは、美しい思い出の数々だが、すでに未来を構築し始めているメッシにとってはさしたる障害となるものではない。

【動画】退団の要因に…大敗したバイエルン戦のハーフタイムにメッシが茫然自失とする衝撃シーンはこちら
「メッシ」になるとはつまり、世界最高のプレーヤーとして毎日のように成功という結果を求める周囲の期待に応え続けることだ。その巨大なプレッシャーは常人には計り知れないものがあるのは言うまでもない。

 しかし33歳になって、ひとりでバルサを牽引することが困難になった。希代の天才は、今のままでは「メッシ」になることができない現実を悟ったことで、永遠のシンボルというステータスを捨ててまで環境を変える決意を固めたのだ。

文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸

【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。

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