アルゼンチンの10番として真っ先に名が挙がるのは?
過去のメジャートーナメントにおいて列強国の代表チームでは一体誰が栄光の10番を背負ってきたのか。歴代の担い手たちはどんな結果を残してきたのか。10番の価値や意味合いなど各国の事情に触れながら、紹介する。
ここで触れるのは、数多くの歴史的なクラックを輩出してきたアルゼンチンだ。
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真っ先に名前が挙がるのは、地元開催となった1978年のワールドカップで得点王とMVPを獲得し、母国を初の世界王者に導いたケンペスだろう。
ただひとり、国外のクラブ(バレンシア)からメンバー入りを果たした大型ストライカーは、10番の重圧に潰されることなく、名将セサル・メノッティと国民の期待に応えた。
ここで触れるのは、数多くの歴史的なクラックを輩出してきたアルゼンチンだ。
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真っ先に名前が挙がるのは、地元開催となった1978年のワールドカップで得点王とMVPを獲得し、母国を初の世界王者に導いたケンペスだろう。
ただひとり、国外のクラブ(バレンシア)からメンバー入りを果たした大型ストライカーは、10番の重圧に潰されることなく、名将セサル・メノッティと国民の期待に応えた。
その後のアルゼンチン代表の「ナンバー10」の歴史は、マラドーナ時代とメッ シ時代、そしてそのふたつの時代をつないだ多くの“マラドーナ2世”たちの時代の3つに分けられるだろう。
まず「若すぎる」という理由で78年のワールドカップのメンバーから外されたマラドーナ(当時17歳)は、その後の4大会で10番を背負い、86年のメキシコ大会では優勝、90年のイタリア大会では準優勝に貢献した。
そんな“天才”が代表から退いた後、98年のフランス大会と02年の日韓大会ではオルテガが、06年のドイツ大会ではリケルメがそれぞれ10番をつけたが、いずれもマラドーナの再来を願うファンの期待には応えられなかった。とくに前者は98年大会のオランダ戦(準々決勝)で相手GKに頭突きを食らわせ退場になるなど、戦犯として扱われた。
10年の南アフリカ・ワールドカップ以降のメジャー大会は、そのすべてでメッシが10番をつけている。クラブの実績ではマラドーナを凌駕するが、代表では無冠。22年のカタール・ワールドカップではメッシが初戴冠なるかに注目が集まっている。
まず「若すぎる」という理由で78年のワールドカップのメンバーから外されたマラドーナ(当時17歳)は、その後の4大会で10番を背負い、86年のメキシコ大会では優勝、90年のイタリア大会では準優勝に貢献した。
そんな“天才”が代表から退いた後、98年のフランス大会と02年の日韓大会ではオルテガが、06年のドイツ大会ではリケルメがそれぞれ10番をつけたが、いずれもマラドーナの再来を願うファンの期待には応えられなかった。とくに前者は98年大会のオランダ戦(準々決勝)で相手GKに頭突きを食らわせ退場になるなど、戦犯として扱われた。
10年の南アフリカ・ワールドカップ以降のメジャー大会は、そのすべてでメッシが10番をつけている。クラブの実績ではマラドーナを凌駕するが、代表では無冠。22年のカタール・ワールドカップではメッシが初戴冠なるかに注目が集まっている。