短期集中連載【日本代表 隠れ名勝負】vol.3 96年加茂ジャパンのメキシコ戦
ワールドカップやアジア最終予選、アジアカップやコンフェデレーションズカップといったメジャーな大会ではなく、マイナーな大会や親善試合においても日本代表の名勝負は存在する。ともすれば歴史に埋もれかねない“隠れ名勝負”を取り上げる短期集中連載。第2回は96年、加茂ジャパン時代のメキシコ戦を振り返る。(文●飯尾篤史/スポーツライター)
――◆――◆――
欧州や南米の名門チームを招いて世界のトップレベルを肌で感じる――。
1978年に生まれたキリンカップ(当時はジャパンカップ)は、日本代表の力を映し出す鑑だった。
92年大会からは、日本と欧州、南米などの代表チームによる3か国対抗戦に変更。日本代表の強化の場として、一層欠かせない大会となる。
92年大会ではアルゼンチン、ウェールズにいずれも0-1で惜敗し、94年大会ではフランスに1-4と大敗した。だが、加茂体制1年目の95年大会はスコットランドと0-0、エクアドルを3-0で下して3か国対抗戦になってから初優勝を果たす。
そして、96年大会で、さらなる金字塔を打ち立てるのだ。
国立競技場で行なわれた第1戦でストイコビッチ、サビチェビッチ、ユーゴビッチらベストメンバーを揃えたユーゴスラビアを、カズのゴールで1-0と下した加茂ジャパンは博多でメキシコを迎え撃った。
この時、メキシコはFIFAランク12位。96年1月にはブラジルを下してゴールドカップ連覇を達成したばかり。GKカンポスやFWルイス・ガルシアら優勝メンバーが来日し、序盤から日本に対して牙をむく。
5分にはFKからデルオルモが頭で決め、16分にはベテランのペラエスが下川健一の守るゴールを破る。
この時点で、勝負あったかに思われた。
だが、ここからが加茂ジャパンの真骨頂だった。
33分、相馬直樹のクロスに走り込んだ森島寛晃が、代表初ゴールを豪快に蹴り込むと、これが反撃の狼煙になった。
後半開始早々の46分、森島のシュートをカンポスが弾いたところをカズがプッシュして同点。さらに82分には相馬がFKをクイックリスタート、黒崎比差支とのワンツーで抜け出し、右アウトサイドで流し込んで逆転に成功。ゲーム終盤を迎え、集中を欠いたメキシコの隙を突く賢いプレーが、値千金の決勝ゴールを生み出した。
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欧州や南米の名門チームを招いて世界のトップレベルを肌で感じる――。
1978年に生まれたキリンカップ(当時はジャパンカップ)は、日本代表の力を映し出す鑑だった。
92年大会からは、日本と欧州、南米などの代表チームによる3か国対抗戦に変更。日本代表の強化の場として、一層欠かせない大会となる。
92年大会ではアルゼンチン、ウェールズにいずれも0-1で惜敗し、94年大会ではフランスに1-4と大敗した。だが、加茂体制1年目の95年大会はスコットランドと0-0、エクアドルを3-0で下して3か国対抗戦になってから初優勝を果たす。
そして、96年大会で、さらなる金字塔を打ち立てるのだ。
国立競技場で行なわれた第1戦でストイコビッチ、サビチェビッチ、ユーゴビッチらベストメンバーを揃えたユーゴスラビアを、カズのゴールで1-0と下した加茂ジャパンは博多でメキシコを迎え撃った。
この時、メキシコはFIFAランク12位。96年1月にはブラジルを下してゴールドカップ連覇を達成したばかり。GKカンポスやFWルイス・ガルシアら優勝メンバーが来日し、序盤から日本に対して牙をむく。
5分にはFKからデルオルモが頭で決め、16分にはベテランのペラエスが下川健一の守るゴールを破る。
この時点で、勝負あったかに思われた。
だが、ここからが加茂ジャパンの真骨頂だった。
33分、相馬直樹のクロスに走り込んだ森島寛晃が、代表初ゴールを豪快に蹴り込むと、これが反撃の狼煙になった。
後半開始早々の46分、森島のシュートをカンポスが弾いたところをカズがプッシュして同点。さらに82分には相馬がFKをクイックリスタート、黒崎比差支とのワンツーで抜け出し、右アウトサイドで流し込んで逆転に成功。ゲーム終盤を迎え、集中を欠いたメキシコの隙を突く賢いプレーが、値千金の決勝ゴールを生み出した。