前回のU-23アジア選手権ではエースとして1トップを務めたが…
2年に1度開催されているU-23アジア選手権。2年前の中国大会でエースとして1トップを務めたのが、田川亨介だった。
当時、サガン鳥栖で売出し中のプロ2年目。「このチームを自分が引っ張っていくつもり」と誓ったレフティは、得点こそ奪えなかったが、グループステージではゴールへの強い意欲を見せ、チームに勢いをもたらした。
その後も東京五輪世代のチームにコンスタントに選ばれていた田川だったが、19年に入ると、6月にはU-20ワールドカップに出場。そこで負傷離脱すると、新加入のFC東京でもディエゴ・オリヴェイラ、永井謙佑の牙城を崩せず、代表から遠ざかった。
その間、代表の1トップの座は上田綺世、小川航基、前田大然の三つ巴の状態に。2年前のエースは、忘れられた存在になっていた。
風向きが変わったのは、2019年シーズン終盤だった。
11月の33節の浦和レッズ戦でようやくシーズン初ゴールを奪取。「散々チャンスをもらってきて、本当に迷惑を掛けてきた。自分のキャリアの中で貴重なゴールになった」と復活を宣言すると、12月のE-1選手権で日本代表に選出され、香港戦でゴールをマーク。東京五輪へのサバイバルを懸けた今大会――タイで開催中のU-23アジア選手権のメンバーに選出されたのだった。
もっとも、今大会での登録は「FW」ではなく「MF」。それは本職のトップではなく、シャドーでの起用を意味していた。
実際、1-2で敗れたグループステージ初戦、1月9日のサウジアラビア戦でもゲーム終盤に右シャドーに投入されたが、田川はネガティブには捉えていなかった。
当時、サガン鳥栖で売出し中のプロ2年目。「このチームを自分が引っ張っていくつもり」と誓ったレフティは、得点こそ奪えなかったが、グループステージではゴールへの強い意欲を見せ、チームに勢いをもたらした。
その後も東京五輪世代のチームにコンスタントに選ばれていた田川だったが、19年に入ると、6月にはU-20ワールドカップに出場。そこで負傷離脱すると、新加入のFC東京でもディエゴ・オリヴェイラ、永井謙佑の牙城を崩せず、代表から遠ざかった。
その間、代表の1トップの座は上田綺世、小川航基、前田大然の三つ巴の状態に。2年前のエースは、忘れられた存在になっていた。
風向きが変わったのは、2019年シーズン終盤だった。
11月の33節の浦和レッズ戦でようやくシーズン初ゴールを奪取。「散々チャンスをもらってきて、本当に迷惑を掛けてきた。自分のキャリアの中で貴重なゴールになった」と復活を宣言すると、12月のE-1選手権で日本代表に選出され、香港戦でゴールをマーク。東京五輪へのサバイバルを懸けた今大会――タイで開催中のU-23アジア選手権のメンバーに選出されたのだった。
もっとも、今大会での登録は「FW」ではなく「MF」。それは本職のトップではなく、シャドーでの起用を意味していた。
実際、1-2で敗れたグループステージ初戦、1月9日のサウジアラビア戦でもゲーム終盤に右シャドーに投入されたが、田川はネガティブには捉えていなかった。
「やっぱりシャドーもできて、1トップもできるっていうところを示していければ、可能性も広がってくる。これを成長するチャンスと捉えたい」
中2日で迎える12日のシリア戦はメンバーの変更が予想される。スタメンか、あるいは再び途中出場か。いずれにしても田川がシャドーでプレーする機会があるはずだ。
「2列目からの飛び出し、スピードの部分では誰にも負けていない。そこを最大限に出して目立っていかないと。どんどんアピールしていきますよ」
プレーのイメージは頭の中でくっきりと像を結んでいる。あとは、シリア戦のピッチの上でそのイメージを表現するだけだ。
取材・文●飯尾篤史(スポーツライター)