5月23日からポーランドでU-20ワールドカップが開催
――現在はどんな状況ですか?
『一旦、休憩』という感じです。昨季限りで琉球と契約が切れたので、1月31日までオファーを待っていましたが、あまり良い話がなかった。でも、まだやりたい想いもあったんです。
あと、『現役引退』ってなんなんやろ? というのが、自分のなかにあったから『一旦、休憩』という形にしようと思いました。今はイベントや解説業などで取材に行ったりしてやることを限定せず、色々なことを勉強する期間にしています。
――サッカーを見る回数は増えましたか?
逆に今は、現役時代よりテレビで見ている量が少ないと思います。現場でサッカーを見る方が多くなりました。解説業に関しては、選手時代は仕事感覚があまりなく、単純に好きで現地にも行くイメージだったんです。でも、仕事としての解説は責任があるので、始めてまだ2か月くらいですが、どうなんかなって試行錯誤している部分はありますね。
――5月に行なわれるU-20ワールドカップについて伺います。1999年のナイジェリア大会では準優勝の結果を残しましたが、選手としてはどんな経験でしたか?
ガンバに練習生として入った1998年、プロ1年目にU-19代表に選ばれました。僕らの世代はFW不足で、高原(直泰/沖縄SV)しか、決まった選手がいなかったのでチャンスでした。そして、10月にアジアユース選手権でタイ遠征に行ったんですけど、それが初めての海外でした(笑)。
素直にサッカーで海外へ行けるってすごいと思いましたよ。その翌年のU-20ワールドカップ・ナイジェリア大会では、国際大会出場よりもシンジ(小野伸二/札幌)、イナ(稲本潤一/相模原)、高原、ヤット(遠藤保仁/G大阪)、ミツオ(小笠原満男/元・鹿島)など黄金世代と呼ばれる選手たちとプレーして、1か月ともに過ごせたことの方が、僕のなかでは大きかった。とはいえ、スペインとの決勝でシャビを見た時は衝撃でしたけど。
――具体的にはどこに衝撃を受けましたか?
稲本がボールを奪えない選手をJリーグでは見たことなかったんです。それこそ当時、日本代表の名波(浩)さんや森島(寛晃)さん、(中村)俊輔さんしかり、誰が相手でもガンガン、ボールを奪えていました。自分のなかでも、やっぱりイナは凄いというのがあった。
でも、シャビを相手にボールを取りに行った時はいつも通りにいかなかった。普通の選手だったら身体をぶつけて弾いてボールを奪えるところで奪えない。シャビはボールを取りに行くとクルッと回ってそれをかわすんです。一回のコンタクトで3~4回クルクルって(笑)。いやぁ、こいつはすげぇな。こんな選手がいるんだぁ、って衝撃でした。
――シャビはその後、スペイン代表の中心になって、2000年のシドニー五輪では準優勝、2008年の欧州選手権で優勝、2010年の南アフリカワールドカップでは優勝しましたね。
U-20は、原石中の原石の世代なんです。振り返ると、U-20ワールドカップの成績によって、その後、上にいけるか決まる。リンクしているんです。今大会の次は東京五輪、カタール・ワールドカップと続いていきます。世界を相手に結果を出すことで五輪とA代表が大枠で見えてきます。
僕らの世代もナイジェリア大会で準優勝の後、シドニー五輪でベスト8、2002年の日韓ワールドカップではベスト16でした。そういった意味でもU-20の世代は見ておかないといけないと思いますね。
『一旦、休憩』という感じです。昨季限りで琉球と契約が切れたので、1月31日までオファーを待っていましたが、あまり良い話がなかった。でも、まだやりたい想いもあったんです。
あと、『現役引退』ってなんなんやろ? というのが、自分のなかにあったから『一旦、休憩』という形にしようと思いました。今はイベントや解説業などで取材に行ったりしてやることを限定せず、色々なことを勉強する期間にしています。
――サッカーを見る回数は増えましたか?
逆に今は、現役時代よりテレビで見ている量が少ないと思います。現場でサッカーを見る方が多くなりました。解説業に関しては、選手時代は仕事感覚があまりなく、単純に好きで現地にも行くイメージだったんです。でも、仕事としての解説は責任があるので、始めてまだ2か月くらいですが、どうなんかなって試行錯誤している部分はありますね。
――5月に行なわれるU-20ワールドカップについて伺います。1999年のナイジェリア大会では準優勝の結果を残しましたが、選手としてはどんな経験でしたか?
ガンバに練習生として入った1998年、プロ1年目にU-19代表に選ばれました。僕らの世代はFW不足で、高原(直泰/沖縄SV)しか、決まった選手がいなかったのでチャンスでした。そして、10月にアジアユース選手権でタイ遠征に行ったんですけど、それが初めての海外でした(笑)。
素直にサッカーで海外へ行けるってすごいと思いましたよ。その翌年のU-20ワールドカップ・ナイジェリア大会では、国際大会出場よりもシンジ(小野伸二/札幌)、イナ(稲本潤一/相模原)、高原、ヤット(遠藤保仁/G大阪)、ミツオ(小笠原満男/元・鹿島)など黄金世代と呼ばれる選手たちとプレーして、1か月ともに過ごせたことの方が、僕のなかでは大きかった。とはいえ、スペインとの決勝でシャビを見た時は衝撃でしたけど。
――具体的にはどこに衝撃を受けましたか?
稲本がボールを奪えない選手をJリーグでは見たことなかったんです。それこそ当時、日本代表の名波(浩)さんや森島(寛晃)さん、(中村)俊輔さんしかり、誰が相手でもガンガン、ボールを奪えていました。自分のなかでも、やっぱりイナは凄いというのがあった。
でも、シャビを相手にボールを取りに行った時はいつも通りにいかなかった。普通の選手だったら身体をぶつけて弾いてボールを奪えるところで奪えない。シャビはボールを取りに行くとクルッと回ってそれをかわすんです。一回のコンタクトで3~4回クルクルって(笑)。いやぁ、こいつはすげぇな。こんな選手がいるんだぁ、って衝撃でした。
――シャビはその後、スペイン代表の中心になって、2000年のシドニー五輪では準優勝、2008年の欧州選手権で優勝、2010年の南アフリカワールドカップでは優勝しましたね。
U-20は、原石中の原石の世代なんです。振り返ると、U-20ワールドカップの成績によって、その後、上にいけるか決まる。リンクしているんです。今大会の次は東京五輪、カタール・ワールドカップと続いていきます。世界を相手に結果を出すことで五輪とA代表が大枠で見えてきます。
僕らの世代もナイジェリア大会で準優勝の後、シドニー五輪でベスト8、2002年の日韓ワールドカップではベスト16でした。そういった意味でもU-20の世代は見ておかないといけないと思いますね。