令和にも通用するシティ風味の11人を選出
平成の時代も残りわずかとなったが、この30年余りで日本サッカー界は大きな進化を遂げてきた。とりわけ日本代表は苦難の道のりを経てワールドカップ初出場を果たし、3度のベスト16進出を実現するなど劇的な変貌を見せている。そんな平成の時代を振り返ると、日本代表に欠かせない11人はいかなる構成になるのか。日本サッカーの浮き沈みを見守ってきた識者に、「平成の日本代表ベスト11」を選んでもらった。
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「時代が違えば」「もう10年早ければ、遅ければ」
あの選手は、もっと活躍したかもしれない。
たとえば、佐藤寿人。彼がストライカーとして全盛を迎えた時期、日本代表を指揮していたのは、アルベルト・ザッケローニだった。しかし、佐藤はこのイタリア人が望む類のセンターフォワードではなく、代表とは疎遠のまま過ごした。当時、「なぜ佐藤寿人は代表に選ばれないのか?」という記事が、多く出回ったのを覚えている。
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「時代が違えば」「もう10年早ければ、遅ければ」
あの選手は、もっと活躍したかもしれない。
たとえば、佐藤寿人。彼がストライカーとして全盛を迎えた時期、日本代表を指揮していたのは、アルベルト・ザッケローニだった。しかし、佐藤はこのイタリア人が望む類のセンターフォワードではなく、代表とは疎遠のまま過ごした。当時、「なぜ佐藤寿人は代表に選ばれないのか?」という記事が、多く出回ったのを覚えている。
もちろん、監督の専権事項だから仕方がない。チーム戦術とは、独断と偏見で作られるものだ。しかし一方で、昨今のサッカーを見るにつけ、「時代が違えば……」と思うことも少なくない。徹底的にニアゾーンを攻め立て、短いグラウンダーの折り返しを、ワンタッチで沈める。いかにも佐藤寿人の能力が生きそうなフィニッシュパターンが、近頃は全盛だ。ジョゼップ・グアルディオラのマンチェスター・シティは、その典型といえる。
Jリーグでも横浜F・マリノスが積極的に取り組んでいるが、令和の時代にはこうした攻撃イメージを共有した、速い連係がさらに発展するに違いない。同時に、それに合う技術と知性を備えた選手が、どんどん頭角を表すのだろう。
だが、実は平成の時代にも、そうした才を持っていた選手はいたのではないか? 「時代が違えば」「もう10年ズレていたら」、あの人はもっと活躍したかもしれない。
そんな選手を集め、令和にも通用するシティ風味の『平成日本代表ベストイレブン』を作ってみた。